ら御殿[#「御殿」に傍点]と呼んでいたその粗末な住家に帰ると、妹に言った。「私は今司教の式をすましてきた[#「私は今司教の式をすましてきた」に傍点]。」
 最も崇高なことは往々にして最も了解せられ難いことであるので、その市においても、司教のかかる行ないを解して「それは見栄である[#「それは見栄である」に傍点]」と言う者もあった。がそれは単なる客間の話にすぎなかった。神聖なる行為に悪意を認めない人民たちは、いたく心を動かされて讃嘆した。
 司教の方では、断頭台を見たことは一種の感動であった。心を落ち着けるにはかなりの時間を要した。
 実際断頭台がくみ建てられてそこに立っている時、それは人に幻覚を起こさせるだけのある物を持っている。自らの目で断頭台を見ない間は、人の死の苦痛について一種の無関心であり得る、そして可否を言わずにいることができる。しかしながら断頭台の一つに出会う時には、受くる感動は激しく、断然賛否いずれかを決しなければいられない。ある者はド・メェーストルのごとくそれを讃美するであろう、またある者はベッカリアのごとくそれを呪《のろ》うであろう。断頭台は法律の具現であり、称してこれ
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