んどことごとく閑却している。そしてそれも余儀ないことである。歴史は無限になるだろうから。けれどもこれらの詳細は、それを些事《さじ》と言い去るのは誤りであって――人生のうちに些事はなく、植物のうちに瑣末《さまつ》なる葉はない――それは皆有用なことである。時代の容貌が形造らるるのはその年々の相《すがた》によってである。
さてこの一八一七年に、四人の若いパリーっ子が「おもしろい狂言」を仕組んだ。
二 二重の四部合奏
それらの四人のパリーっ子のうち、一人はツウルーズの者で、次はリモージュの者で、第三はカオールの者で、第四はモントーバンの者であった。けれども彼らはみな学生であった。学生というのはパリーっ子というのと同じで、パリーで学問をすることはパリーで生まれるのと同じである。
それらの四人の青年らは、何らとりたてて言うべきほどの点をもたず、至ってありふれた人物だった。どこにでもある型だった。善《よ》くもなくまた悪くもなく、学問があるでもなくまた無知でもなく、天才でもなければまた愚か物でもなかったが、二十歳という楽しい青春の花盛りだった。それはある四人のオスカール([#ここか
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