うことができた。あらゆる方言を話しながらあらゆる人の心の中にはいり込んだ。
その上彼は、上流の人々に対してもまた下層の人々に対しても同様の態度を取っていた。
彼は何事をも早急に咎《とが》むることなく、また周囲の事情を斟酌《しんしゃく》せずして咎むることがなかった。彼はいつも言った、誤ちが経てきた道を見てみよう。
彼自ら自分を昔罪ありし者[#「昔罪ありし者」に傍点]とほほえみながら言っていただけに、彼は少しも苛酷《かこく》なことがなかった、そしていかめしい道学者のごとく眉根《まゆね》を寄せることもせずに一つの教理を公言していた。その要点は大略次のようであった。
「人は同時におのれの重荷たりおのれの誘惑たる肉体を身に有す。人はそれを担《にな》い歩きしかしてそれに身を委《ゆだ》ぬるなり。」
「人はこの肉体を監視し制御し抑制して、いかんともなす能《あた》わざるに至りて初めてそれに屈服すべきなり。かくのごとき屈服においても、なお誤ちのあることあれど、かくてなされたる誤ちは許さるべきものなり。そは一の墜堕なり、しかれども膝《ひざ》を屈するの墜堕にして、祈祷《きとう》に終わり得べきものなればな
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