ろ話をするという方が多かった。彼は人の了解し難い言辞を有効だとしていなかった、そして理論や範例を決してかけ離れたところに求めなかった。ある地方の人々にはその付近の地方の例を取ってきた。貧乏な人たちに冷酷である村々では、次のように言った。「ブリアンソンの人々をごらんなさい。彼らは貧民や寡婦《かふ》や孤児などには、人より三日前から牧場の草を刈ることを許しています。その家が壊《こわ》れる時は無料で建ててやります。それゆえその地方は神に恵まれているのです。まる百年もの間、一人の人殺しもないのでした。」
 利益や収穫を貪《むさぼ》る村々では、彼は次のように言った。
「アンブロンの人々をごらんなさい。もし刈り入れの時に、息子《むすこ》たちは兵役に出ており、娘たちは町に奉公に出ており、主人は病気で働けないような場合には、司祭は説教のとき彼のことを皆に伝えます。そして日曜日の弥撒《ミサ》の後に、村の男や女や子供やすべての人々が、その人の畑に行って刈り入れをしてやり、藁《わら》や穀物を納屋へ納めてやります。」――金銭や遺産の問題で反目している家族には次のように言った。「ドゥヴォルニーの山国の人々をごらん
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