ほどのものがなかった。三十二の主任司祭館と四十一の助任司祭館と二百八十五の補助礼拝堂とがあった。それらをすべて見舞うことはかなりの仕事だった。司教はそれをやってのけた。近くは徒歩で、平地は小車《こぐるま》で、山は騾馬《らば》の椅子鞍《いすくら》で行った。二人の老婦人が彼の伴《とも》をした。道が彼女らに困難な時には、司教は一人で行った。
 ある日彼は、昔司教在住の町であったスネズに驢馬《ろば》で行った。その時、彼の財布はきわめて軽く、他の乗り物を取ることができなかったのである。町長は司教館の入り口まで彼を出迎えた、そして彼が驢馬からおりるのを憤慨したような目つきでながめた。数名の町人はその周囲で笑っていた。「町長さん並びに皆さん、」と司教は言った、「私には皆さんの憤慨しておられる理由がわかっています。イエス・キリストの乗り物であった驢馬にまたがることは、憐《あわ》れな一牧師にとってははなはだ不遜《ふそん》なことである、と諸君は思われるでしょう。しかし私はやむを得ずそうしたのでして、断じて虚栄からではありません。」
 巡回中において彼は、きわめて寛大で穏和であって、説教するというよりもむし
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