四輪馬車代」に傍点]、駅馬車代[#「駅馬車代」に傍点]、及び教区巡回の費用として[#「及び教区巡回の費用として」に傍点]、司教へ支給[#「司教へ支給」に傍点]。
その一事は市民の物議を醸《かも》した。そして革命第二月十八日に味方した五百人会の一人であって、現に帝国の上院議員でありディーニュの近くにりっぱな世襲財産を持っていた一人は、そのとき宗務大臣ビゴー・ド・プレアムヌー氏に宛《あて》て、不平満々たる内密な寸簡をしたためた。今ここにそのうちの信ずべき数行を引用してみよう。
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「――四輪馬車代とや。人口四千をいでざる小都市において何ぞそを用いんや。駅馬車および巡回の費用とや。まず、かかる巡回の用いずこにある。次にかかる山間の地において、いかんぞ駅馬車を用ゆることを得《う》べき。道路と称すべきものなく、人はただ馬によりて行くのみ。シャトー・アルヌーへ至るデューランス河《がわ》の橋さえもほとんど牛車を支《ささ》うること能《あた》わじ。彼ら牧師輩は皆かくのごとく、貪慾《どんよく》飽くなきの徒なり。この司教も就任の初めにおいては善良なる使徒らしく振舞いたれども、今や他
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