ン・ヴァルジャンという名前が落ちかかったので、証拠なんかはどうでもよくなったのであろう。いったい検事などという者はいつもそういうふうなやり方をするではないか。囚人だというので、盗人だと考えられたのだ。」
 またある瞬間に彼はこうも考えた。自分が自首して出たならば、自分の勇壮な行為と、過去七年間の正直な生活と、この地方のために尽した功績とは、十分に考量されて許されることになるかも知れない。
 しかしそういう想像はすぐに消え失せてしまった。そして彼は苦笑しながら考えた。プティー・ジェルヴェーから四十スーを盗んだことは、自分を再犯者となすものである。その事件も必ずや現われて来るであろう。そして法律の明文によって自分は終身懲役に処せらるるであろう。
 彼はついにすべての妄想《もうそう》を断ち切って、しだいに地上を離れ、他の所に慰安と力とを求めた。彼は自ら言った。自分は自己の義務を果たさなければならない。義務を避けた後よりも義務を果たした後の方が、より不幸になるということがあり得ようか。もし成り行きに任せ[#「成り行きに任せ」に傍点]、モントルイュ・スュール・メールにとどまっているならば、自分の高い地位、自分の好評、自分の善業、人の推服、人の敬意、自分の慈善、自分の富、自分の高名、自分の徳、それらは皆罪悪に汚されるであろう。そしてそれらの潔《きよ》い数々もこの忌むべき一事に関連するならば、何の滋味があろう。しかるに、もし自分が犠牲になり果たしたならば、徒刑場の柱と鉄鎖と緑の帽子と絶えざる労働と無慈悲な屈辱とにも、常に聖《きよ》い考えを伴うことができるであろう。
 最後に彼はまた自ら言った。すべては必然の数《すう》である。自分の運命はかく定められたものである。自分には天の定めを乱す力はない。自分はただいずれの場合においても、外に徳を装って内に汚れを蔵するか、もしくは内に聖《きよ》きを抱いて外に汚辱を甘受するか、その一つを選ばなければならない。
 かく雑多な沈痛な考えをめぐらしつつも、彼の勇気は少しも衰えなかった。しかし彼の頭脳は疲れてきた。彼は我にもあらず、他の事を、まったく関係のない種々のことを、考え初めた。
 顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》の血管は激しく波打っていた。彼はなお室の中を歩き続けていた。会堂の時計がまず十二時を報じ、次に市役所の時計が鳴っ
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