き、終わりにゲルヌゼーに赴いた。その間、一八五八年より六二年まで五年間の瞑想《めいそう》と思索とに成ったのがこの物語である。彼はその中に脳裏にあるものすべてを投げ込んだ。熱烈なる共和党員であった父より生まれ、追放令を受けた老将軍と還俗した老牧師との家庭教育を受け、詩人としてはロマンティック運動の主将であり、政客としては民主派であり、主義よりもむしろ熱情の人であった彼ヴィクトル・ユーゴーの脳裏に、最もあざやかに浮かんだところのものは、実に社会の底に呻吟《しんぎん》するレ・ミゼラブル(惨めなる人々)であり、彼らを作り出した社会の欠陥であり、彼らが漂う時運の流れであった。そして彼らを描くにあたって、奔放なるおのれの想像と思想とに何らの抑制をも加えなかった。かくしてできた物語をさして、環境と群集との詳細な描写のゆえにゾラの真の源であるといい、また、空想的な筋の運びと類型的な人物とのゆえに全くのロマンティックの作であるといい、あるいは、青年マリユスをもって作者自身であるということは、この物語の価値に何かをつけ加えるものでもなくまた何かを減ずるものでもない。作者は何よりもまず詩人であった、人生の詩
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