ならなくなった。
「自由」とナポレオン、外観上相反するその二つは、実は一体の神に祭らるべき運命にあった。フランスの民衆はその前に跪拝《きはい》した。彼らのうちにおいてその二つは、あるいは矛盾し、あるいは一致しながら、常に汪洋《おうよう》たる潮の流れを支持していた。そして彼らの周囲には、古き世界の伝統があった。伝統に対する奉仕者らが、神聖同盟の強力が。けれども彼らの心の奥には、パリーの裏長屋の片すみには、「自由」とナポレオンの一体の神が常に祭られていた。一八三〇年七月の革命は、また一八三二年六月の暴動は、底に潜んだ潮の流れの、表面に表われた一つの波濤《はとう》にすぎなかった。
 その動揺せる世潮の中を、一人の男が、惨《みじ》めなるかつ偉大なる一人の男が、進んでゆく。身には社会的永罰を被りながら、周囲には社会の下積みたる浮浪階級を持ちながら、彼はすべてを避けず、すべてに忍従しつつ進んでゆく。彼の名をジャン・ヴァルジャンと言う。
 ジャン・ヴァルジャンは片田舎《かたいなか》の愚昧《ぐまい》なる一青年であった。彼は一片のパンを盗んだために、ついに十九年間の牢獄生活を送らねばならなかった。十九年
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