している。眠れない深夜のように。意識は茫としているのに、眼だけが冴えていた。酔ったばかりではなかった。
突然、周さんは頓狂な声を立てた。
「あ、ありました。一つ残っています。」
鏡台が残っていたのである。周さんも一緒に使っていたものではあるが、鏡台といえば、やはり千代乃さんに属するのだ。
「鏡は、女の魂とか言われていますね。」
古風な言葉だ。
「あれがある限り、やはり千代乃も残っている。そうではありませんか。」
「まあ、そうかも知れないね。」
周さんの眼を見つめると、周さんも俺の眼を見つめた。互に、何かを探り出そうとするのではなく、一緒に感じ合おうとするのだ。
「ほんとうに、千代乃に逢いましたね。」
囁くような静かな言葉だった。
確かに逢ったようだ。俺は頷いた。
「わたしも逢いました。二度逢いました。」
煙草の煙で室内は濛々としていた。時間がとぎれとぎれに空白となった。
「それでは、出かけましょうか。」
「そう、出かけてもいいね。」
なんのことだかはっきりはしないが、それでも、よく分ってはいたのだ。まだいろいろ饒舌り、その言葉は空に消え、そして感じだけが残っていた。
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