している。眠れない深夜のように。意識は茫としているのに、眼だけが冴えていた。酔ったばかりではなかった。
突然、周さんは頓狂な声を立てた。
「あ、ありました。一つ残っています。」
鏡台が残っていたのである。周さんも一緒に使っていたものではあるが、鏡台といえば、やはり千代乃さんに属するのだ。
「鏡は、女の魂とか言われていますね。」
古風な言葉だ。
「あれがある限り、やはり千代乃も残っている。そうではありませんか。」
「まあ、そうかも知れないね。」
周さんの眼を見つめると、周さんも俺の眼を見つめた。互に、何かを探り出そうとするのではなく、一緒に感じ合おうとするのだ。
「ほんとうに、千代乃に逢いましたね。」
囁くような静かな言葉だった。
確かに逢ったようだ。俺は頷いた。
「わたしも逢いました。二度逢いました。」
煙草の煙で室内は濛々としていた。時間がとぎれとぎれに空白となった。
「それでは、出かけましょうか。」
「そう、出かけてもいいね。」
なんのことだかはっきりはしないが、それでも、よく分ってはいたのだ。まだいろいろ饒舌り、その言葉は空に消え、そして感じだけが残っていた。
周さんは立ち上って、奥の室にはいり、電燈をつけた。俺もついて行って、上り框から覗いた。
横手に、紫檀の大きな鏡台があった。その鏡の裏側から、周さんは小さな姫鏡台を取り出した。朱色に塗った玩具みたいなもので、どこかの土産物でもあろうか。それから、大鏡台の抽出を開けて、いろんな下らないものを取り出した。白粉やクリームの壜、化粧道具、櫛やピン、刷毛類など、たぶんもう使い古されたものばかりらしい。そして、そのうちの小さい物は姫鏡台の抽出に入れ、はいりきれない物は鏡の前に並べた。
周さんは俺の方を振り向いて、淋しげに頬笑んだ。俺は静かに頷いた。
周さんは有り合せの木箱を探して、姫鏡台とその他の品をつめこみ、上から紐で結えた。
それから周さんは、裏口の方へ行って、鶴嘴と平鍬を持って来た。
俺は合着のオーバーを着て、木箱をさげ、周さんはジャケツのままで、鶴嘴と鍬を持った。
頷き合って出かけた。
酔余のいたずら、でもないし、真面目な意図、でもないし、何が何やら分らないながらも、へんに俺は心が暗かった。滑稽であろうと、道化ていようと、とにかく、それを遂行しなければならない。
途中で、木箱
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