しも困りませんでした。秋のはじめに洪水《こうずい》が出ましても、前から川の堤《つつみ》が高く築かれていましたので、少しも田畑を荒しませんでした。そして王子の言葉がいちいち当たるので、王様はじめ御殿《ごてん》中の者は皆、大変に驚きました。いつとはなく、「王子は神様の生まれ変わりだ」という評判が国中に広まりました。王様はどうして先のことを知ることが出来るのか、いろいろ王子にたずねられましたが、王子は千草姫《ちぐさひめ》から堅く口止めをされていましたので、何とも答えられませんでした。そして遂には王様まで、自分の子は神の生まれ変わりではないかと思われるようになりました。
 けれど、王子にも、ただ一つ自分の思うようにならないことがありました。それは毎晩月を出すことが出来ないことでありました。月が輝いた晩でなければ、千草姫は迎えにきてくれませんでした。
 宵《よい》に月が出る時は、いつも矢車草《やぐるまそう》の森の精が御殿の庭まで迎えに来てくれました。王子は千草姫の所に行って、御殿の戸がしまる十時少し前に帰って来られました。
 ところがある晩、いつものように白樫《しらがし》の森の中の芝地《しばち》へ王子が行かれますと、千草姫は非常に悲しそうな顔をして立っていました。またその晩は、森の精さえ一つも出て来ませんでした。王子は何となく胸をどきどきさせながら、姫にたずねられました。
「今晩はどうなされたのです」
「今に悲しいことが起こって参《まい》ります」と千草姫は答えました。王子はいろいろたずねられましたが、千草姫はどうしてもわけを言いませんでした。ただ「今にわかります」と答えるきりでした。
 王子と千草姫《ちぐさひめ》とは黙って芝地《しばち》の上に坐っていました。月の光りが一面に落ちて来て、草の葉や花びらや木の葉をきらきらと輝かしていました。やがて千草姫はほっと溜息《ためいき》をついて言いました。
「もうお目にかかれないかも知れません」
 それをきくと、王子は急に悲しくなりました。
「お時間じゃ、お時間じゃ、御殿《ごてん》のしまるお時間じゃ」と、うしろで歌う声が聞こえました。
 見ると、いつのまにか矢車草《やぐまるそう》の森の精がうしろに立っていました。それでも王子は帰ろうとされませんでした。けれど千草姫は、むりに王子を慰《なぐさ》めて帰らせました。
 王子にはどうしても、千草姫に
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