もなれば、大地は泣きたいほどの豊満さにふくれ上り、いつ如何なる時でも、江戸川の水は流れ動いて、常に新らしい悠久さを失わない。
それらを観取するのは、詩人の眼であり、眼の映像を夾雑物なく鮮明に浮き出させるのは、詩人の表現である。――ここでは、心平さんはすっきりした詩人である。だから、「東京公園」の如き種類の幻想も、いやな臭気を立てないのだ。
四
心平さんにとっては、中華民国は第二の祖国とも言えるかも知れない。中国に対してただに親愛感を持ってるばかりでなく、実際に、広東の嶺南大学に学んでいる。なお後年、南京に長く定住し、そのほか、中国の各地を歩き廻った。
だから、中国の人事風物は、エキゾチックな感懐を心平さんに起させはしない。特殊な事柄だけが詩情を煽るのである。ここに採録した数篇を見てもそれは分る。
個々の作品について云々するのは止めよう。全体として、支那大陸の雰囲気が漂ってることと、表現が壮重になってることとを、指摘しておけば充分であろう。
五
ここには、壮麗な絵巻物が繰り拡げられる。
古代狩猟の景観は、銀壺の文様に制約されて、いささか窮屈な憾
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