とは、詩人として却って幸福なことだ。
然し、天をじかの対象とせずとも、それを背景として、いろいろな表現が為され得る。その時、天の比重はさまざまになる。心平さんの近著「天」の後記の一節を見よう。
「数年前、私の天[#「天」に傍点]に就いての或る人のエッセイが詩の雑誌にのったことがあった。私はそれまで天というものを殊更に考えたことはなかったのだが、ふと……従来の詩集をひらいて天のでてくる作品に眼をとおした。あるあるあるある。私のいままで書いた作品の約七十パアセントに天がでてくる。」
「富士山の詩を私は永いあいだ書いてきたように思うが、もともと富士山などというものは天を背景にしなければ存在しない。」
つまり、天は心平さんの、意識的にせよ無意識的にせよ、バック・ボーンなのだ。本書に採録してる作品の多くにも、天が出てくる。だからここには、代表的なもの五篇だけに止めておいた。
二
[#ここから2字下げ]
ああ天の。
大ガラス。
薄氷をジャリリと踏んで自分はこの道を曲る。
[#ここで字下げ終わり]
同じ所に突っ立っていても、自然の夜明けは来るのだけれど、詩人の決意は、一つの道へ進み行かせるのだ。いずれの道へかと問う必要は、ここにはなく、ただ信念の道へというだけで充分であろう。
然し、道は暗い。殊に敗戦日本の道は暗い。誰だって泣きたくなるだろう。居酒屋の酒にも酔い痴れたくなるだろうじゃないか。だが、もう飲み疲れた。家に帰ろう。帰って眠ろう。それにしても、
[#ここから2字下げ]
時間よおれはおまえにきくが。
おまえの未来はギラギラ光るか。
[#ここで字下げ終わり]
おれだって、夢は持ってる。いつまでも持ってる。甞てもそうだった。友と二人で、曇天の下、芝浦埋立地にじっとしていたことがあり、お互に夢を持ってそうしていたことが、泣きたいほど嬉しかったのだ。其後、死んでいった友もあり、別れていった友もある。
これを、甘い感傷と言う勿れ。心平さんの敏感なそしてやさしい心根なのだ。
三
人事は常に変転するが、自然のうちには、些細なものにも幽遠な影が宿っている。一塊の石にも、億年の姿がこもり、或は壮大な光りが映る。
竹のたたずまいの、雄々しさよ、またやさしさよ。降る雪の静けさよ。皿に置かれてる塩鮭の一切にも、なんという美があることか。
春と
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