も同じことなのだ。そういうところから独特な「蛙」の詩が生れた。
「蛙」の詩が独特であるように、心平さん自身、特異な詩人である。今では、詩雑誌「歴程」の総帥として、詩業も貫禄も充分に備わっているが、なんとなく孤峯の感じである。敬愛する先輩として高村光太郎あり、また宮沢賢治あり、彼に兄事する後輩も多く、彼に心酔するファンも多数であるが、然し、日本の詩の系譜から見て、孤立孤高の感を免れない。そしてこれは寧ろ、心平さんにとって名誉なことだ。
 知性と感性との渾然たる融合、鮮明なるイメージ、豊潤奔放なる韻律など、心平さんの詩の特長は、そうやたらに存在し得るものではない。
 それからまた、心平さんのこれまでの詩業を通覧しても、特殊なものがある。たいていの詩人には、その詩集を以て名づけられる何時代というのがあるものだが、心平さんにはそのようなものは一向ない。例えば、その詩集を取ってきて、「母岩」時代とか、「大白道」時代とか、「日本沙漠」時代とか、そういうことを言ったならば、おかしいだろう。ばかりでなく、「蛙」の詩や「富士山」の詩は、十数年に亘って幾つとなく書き続けられたものである。恐らく今後もまだ続けられるだろう。
 そこで、実は、本書を編纂するに当って、私はちと迷った。各詩集の名前を持ち出して、それに収められてる作品を並べる方法は、意義乏しいように思われたのである。考えた揚句、勝手な方法を用いた。作品の内容や性質によって、比較的類似なものを一纒めにすることだ。もとより創作年月の前後は問わない。
 斯くして出来たのが、本書の八つの区分である。すべて私の作為だ。著者たる心平さんに一応の了解も求めず、勝手なことをしたことを、ここにお詑びしておく。と共に、このことを読者にも諒恕して貰いたい。ただ、この八つの区分は、私としては、心平さんの詩作に関する解説の総序ともなろうかと考えてる次第である。

      一

 天についての代表的な作品である。天とは、時空を絶した場であり、且つ時空を含んだ場である。この場を、心平さんは凝視し、把握しようとする。多彩に染められても無色なるに等しく、如何に傾斜しても水平なるに等しく、如何に荒れ狂っても静謐なるに等しい。これを表現するのは、容易なことではない。「天をじかの対象とすることは私には重すぎることだ、」と心平さん自身も言う。こういう重荷を持ってるこ
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