位でした。そしてクイックシルヴァの方は、彼の鋭い、敏《さと》い、冗談好きの頭のよさで以て、彼等の心にちょっとでも浮かぶ考えはどんな小さなものでも、本人達の気のつかないうちに見抜いてしまうらしいのでした。彼等も流石に時々は、クイックシルヴァがこんなにさとりが早くなくて、それに巻きついた蛇が始終身をよじっているあの不思議にいたずら好きな杖も打ちゃってしまえばいいのにと思いました。かと思うと、彼等はまた、クイックシルヴァがあまり愛想がいいので、杖も蛇も一しょでいいから、彼を毎日朝から晩まで喜んで家にひきとめておきたいような気もしました。
『ああ! ほんとになあ!』家を出て少し歩いてから、フィリーモンは叫びました。『旅の人に親切をつくすことがどんなにありがたいことかということが、あの村の者に分りさえしたら、彼等とても犬をみんなつないでしまって、これからは子供に石を投げさせるようなことはしないだろうに。』
『あんなことをするなんて、罪な、恥ずかしいことだ、――ほんとにそうだ!』年取ったボーシスは激しく言いました。『そしてわたしは今日にも出かけて行って、村の或る人達をつかまえて、彼等がどんなにいけない人間かということを言ってやるつもりです!』
『行ってみたところで誰も家にいないかも知れませんよ、』とクイックシルヴァは、ずるそうに笑いながら言いました。
 ちょうどその時、年上の方の旅人の顔が、おだやかでいながらも、たいへん真面目な、きびしい、おそろしいばかりの威厳を帯びて来たので、ボーシスもフィリーモンも一言だって口をきく勇気がなくなってしまいました。彼等はまるで空を見上げるように、おそるおそる彼の顔を見つめました。
『どんな見すぼらしい初対面の人にでも、同胞《はらから》のような気持を感じない人間は、この世に生きている値打がない。この世界は、人類という大きな同胞の住むべきところとしてつくられたのだから、』とその旅人は、オルガンのような深い響きを持った声で言いました。
『それはそうと、おじいさんとおばあさん、』クイックシルヴァは冗談といたずら気分たっぷりという目つきで叫びました、『あなた方のお話の、その村ってのは、どこでしたっけ? どっちの方にあるんですかね? 一向その辺には見えないようですが。』
 フィリーモンとボーシスとは、つい昨日の夕方まで、牧場や、家や、庭や、木立や、子供達の遊んでいる、広い、街路樹の植わった通りや、それから商売をしたり、楽しく遊んだりして、立派に暮らしているらしい様子などがいろいろ見えていた谷の方に振り向きました。ところが、彼等はどんなに驚いたことでしょう。いつのまにか、村らしいものはまるで無くなっているではありませんか! 村がその底の方にあった、ゆたかな谷さえも、なくなってしまっていました。その代りに、彼等は湖の、広い、青い水面を見ました。それは大きな鉢のようになった谷の端から端まで満たして、まるで世のはじめからそこにあったかのように、まわりの山々の静かな姿を、その中にうつしていました。ちょっとの間、湖は少しの波も立てないで静まり返っていました。それから、風が少し出て来て、水を朝日影に踊らせ、光らせ、かがやかして、さらさらと快い音を立てて、こちらの岸にぶっつけました。
 その湖は、妙に見なれたもののような感じがするので、老人夫婦はまったく狐につままれたようで、そこに村があったというのは夢に過ぎなかったかのような気がしました。しかし、次の瞬間には、彼等は無くなってしまった民家や、そこに住んでいた人の顔や性質を、夢にしてはあまりにはっきり思い出しました。村はたしかに昨日まであったのです。そして今はもうないのです!
『ああ! あの村の人達は、可哀そうに、どうなったのでしょう?』と、心のやさしい老夫婦は叫びました。
『彼等は、もはや男や女としては生きていない、』と、年上の旅人は、荘重な、深味のある声で言いましたが、その時、遠くの方で、雷がそれに応《こた》えるようにごろごろと鳴ったような気がしました。『彼等のような生活は、何のやくにも立たなかったし、またちっとも美しいところもなかった。というのは、彼等は人と人との間のやさしい愛情を働かして、人間の苦しい運命をやわらげて、少しでも楽しいものにしようとは決してしなかったから。彼等の胸には、もっといい生活の面影が少しも残っていなかった。だから、ずっと前にあった湖が、再びひろがって来て、ただ空を映《うつ》すというようなことになってしまったのだ!』
『それから、あのおろかな人達はどうなったかというとね、』と、クイックシルヴァは例のいたずららしい笑い方をして言いました、『みんな魚にされてしまったのさ。別に大して変えることも要らなかった、というのは、彼等はもとからうろこの生えたような下等な奴等で、またあれほど冷たい血をした人間共もなかったんだから。そんなわけだから、ボーシスばあさん、あなたかおじいさんかが、焼いた鱒でも食べたくなった時には、いつでもおじいさんが糸を投げ込んで、もとの村人達の五六尾も釣上げればいいんですよ!』
『ああ!』ボーシスは身ぶるいしながら叫びました、『わたしは、どんなことがあっても、彼等を焼網に乗せたりしたくありません!』
『そうだ、』と、フィリーモンも、顔をしかめて附け加えました、『わし達は彼等をうまがってたべたりなんぞ、どうして出来るものかね!』
『善良なフィリーモンよ、』年上の旅人は、語《ご》を継《つ》いで言いました、――『そして、親切なボーシスよ、――お前達においては、家をはなれた他郷者を、かくまで心からの親切をこめてもてなしたによって、牛乳は神の御酒の尽きざる泉となり、黒パンと蜂蜜とは神のお口にかなうものとなった。かくして、神々は、お前達の食卓において、オリンパスの饗宴に供えられるのと同様の食物で、もてなしを受けた。年寄達、上出来であったな。そこで、何でもお前達の一番の望みをいうがよい。かなえてつかわすぞ。』
 フィリーモンとボーシスとは互に顔を見合せました、そして、――二人のうちのどっちが口をきいたのか、僕は知らないが、とにかく二人の心のねがいを述べました。
『わたし達が、生きている間は、一しょに暮らして、死ぬ時には、一しょに死なせて下さりませ! と申しますのは、わたし達は常に愛し合ってまいりましたのですから!』
『その通りになるように!』と、見知らぬ人は、おごそかなやさしさを以て答えました。『さて、お前達の家の方を見るがいい!』
 彼等は言われるままに家の方を見ました。しかし、大きくあけひろげた玄関のある、白い大理石の高い建物が、ついさっきまで彼等のみすぼらしい住居《すまい》のあった場所に建っているのを見た時の彼等のおどろきはどんなだったでしょう!
『あれがお前達の家だ、』と言って、見知らぬ人は彼等二人にやさしくほほ笑みました。『お前達が昨晩、われわれを見すぼらしいあばらやに喜び迎えた時と同じように、物惜しみすることなく、あの立派な家にはいってからも人々を親切にもてなせよ。』
 老夫婦はひざまずいて彼にお礼を言おうとしました。しかし、これはどうしたことか! 彼もクイックシルヴァも、そこにいませんでした。
 こうして、フィリーモンとボーシスとは、その大理石の立派な邸宅にはいって、この方面を通りかかる人を、だれかれの差別なく喜ばせ、楽しませることを、自分達もこの上なく満足に思って、日を送りました。それから、言い忘れてはならないことは、あの牛乳壺が、一杯になってくれればいいなあと思う時は、いつでも一杯になって、決して空《から》っぽになることがないという不思議な力を、いつまでもそのまま持っていたことです。正直な、機嫌のいい、けちけちしない客が、その壺の牛乳を飲むと、それはいつでもきまって、これまでに飲んだこともないような、おいしくて、元気のつく牛乳でした。しかし、もしも機嫌の悪い、不愉快な、けちんぼうがそれをすすったら、大抵はむずかしいしかめっ面《つら》をして、この壺の牛乳はすっぱいというにきまっていました。
 その老夫婦は、こんな風にして、長い長い間その邸宅に暮らして、だんだん年を取って、大変な年寄になりました。ところが、とうとう夏の或る朝のこと、いつもならば二人のやさしい顔に、同じような、親切な微笑を一杯に浮かべて、ゆうべから泊まっている客を朝飯に呼びに来るのに、その姿が見えませんでした。客達は、その広い邸宅の上から下まで、隈《くま》なく捜してみましたが、まるで駄目でした。しかし、いろいろと頭をひねった末、彼等は玄関の前に、二本の古い木を見つけました。昨日まで、誰もそんなところに木の生えているのを見た覚えはなかったのです。それでも、それらの木は、根を深く土におろして生えていて、その大きくひろがった枝葉《えだは》が、邸宅の正面一杯に影を落していました。一本は樫の木で、他の一本は菩提樹でした。両方の木の大きな枝は、互にからみ合い、抱き合って、ちょうど二本の木が別々に生えているのではなくて、お互の胸によりかかって生えているといった具合なのですが、――それが、見た目に、いかにも不思議な、美しいものでした。
 これまでになるには少くとも百年はかかったろうと思われるこれらの木が、どうして一晩のうちにこんなに高く、古くなったものかと客達がおどろいていると、俄かに風が吹いて来て、二本の木の、からみ合った大きな枝をゆり動かしました。そして、まるでその二本の不思議な木が物を言っているように、空中で、深い、はっきりした囁《ささや》きが聞えました。
『わしは年取ったフィリーモンです!』と樫の木は囁きました。
『わたしは年取ったボーシスです!』と菩提樹は囁きました。
 しかし、風がもっと強くなって来ると、二本の木は一しょに――『フィリーモン! ボーシス! ボーシス! フィリーモン!』――と、まるで一身同体[#「一身同体」はママ]となって、お互の心の奥底で語り合っているように、言いました。あのいい老夫婦が若返って、フィリーモンは樫の木に、ボーシスは菩提樹になって、これからまた、静かな、うれしい百年程の間を送ろうとしているのだということは、いわずとも知れたことでした。おう、それから、彼等は何という親切な蔭をまわりに投げかけたことでしょう! 旅人がその下に休んだ時にはいつでも、頭の上の葉が気持よく囁くのを聞いて、その音がまたどうして次のような言葉によく似ているのかを不思議に思いました――
『ようこそ、ようこそ、旅のお方、ようこそ!』
 そして、どういうことをすれば、ボーシスばあさんとフィリーモンじいさんとが一番喜ぶかを知っていたどこかの親切な人が、両方の木の幹のまわりに、円く腰掛をつくりました。それからずっとのちまで、長い間、疲れた人や、おなかのへった人や、喉の渇《かわ》いた人などがそこへ来て、いつも休んでは、不思議の壺から、堪能《たんのう》するほど牛乳を飲みました。
 そして僕は、われわれみんなのために、その壺が、今、ここにあったら、どんなにいいだろうと思います!
[#改ページ]

     丘の中腹
       ――話のあとで――

『その壺は、どれくらいはいったの?』とスウィート・ファーンは尋ねた。
『一リットルくらいしか、はいらなかったさ、』学生は答えた、『しかし、その中からどんどん牛乳をあけて、大樽一杯にしようと思えば、出来たんだよ。本当に、それはいくらでも湧いて来て、真夏になっても、からからになるようなことはなかったのさ、――この丘の中腹をささやき流れる、向うの小さな谷川でもそうは行かないかも知れないね。』
『そして、その壺は、今はどうなってるの?』小さな男の子は尋ねた。
『惜しいことには、それは二万五千年ばかり前に、こわれてしまったの、』従兄ユースタスは答えた。『それをみんなが出来るだけうまく修繕したんだけどね、牛乳はどうにか入れておくことは出来ても、もうそれからというものは、ひとりでに一杯になるということは決してなくなってしまったの。だからね、ひびのはい
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