たら、そうするのにと思いつづけました。
 しかし、現在出した夕食が、こんなにわずかなものである以上は、客達のおなかがそんなにすいていなければよかったのに、と思わずにはいられませんでした。ところがどうでしょう、旅人達は食卓につくと、早速、二つの鉢の牛乳を一息に飲んでしまいました。
『ボーシスおばあさん、よかったら、もう少し牛乳を下さい、』クイックシルヴァが言いました。『今日は暑かったんで、僕とても喉が渇《かわ》いてるんです。』
『ところが、あなた方、』と、ボーシスは大変困って答えました、『ほんとにおあいにくで、申しわけありません! が、ほんとに、壺の中には、ほとんどもう一しずくの牛乳もないんです。おう、お前さん! お前さん! どうしてわたし達は、夕食抜きにしなかったんだろうねえ?』
『だって、僕には何だか、』とクイックシルヴァは叫んで、食卓から立上って、壺の把手《とって》を持ちました、『ほんとに、あなたがおっしゃるほど、困ったことになっているようには思えないんですが。たしかに壺の中には、まだ大分牛乳がありますよ。』
 彼はそう言いながら、ボーシスが大変驚いたことには、ほとんど空《から》だとばかり思っていた壺から、自分の鉢だけでなしに、連れの人の鉢にまで、一杯に牛乳を注ぎました。おばあさんは、ほとんど自分の目を信じることが出来ませんでした。彼女はたしかに牛乳を大方みんな注《つ》いでしまって、そのあとで壺をテイブルに置く時に、中をのぞくと、底が見えていたのでした。
『しかし、わたしは年を取っている、』とボーシスはひとりで考えました、『そして忘れっぽくなっている。わたしはきっと思いちがいをしたんでしょう。それにしても、二度までも鉢に一杯|注《つ》いでまわったんだから、もういくらなんでも壺は空《から》にならずにはいないでしょう。』
『なんて結構な牛乳だろう!』クイックシルヴァは、二杯目注いだのを、がぶ飲みしたあとで言いました。『すみませんが、親切なおかみさん、本当にもう少しだけいただきたいんです。』
 今度こそはボーシスも、何よりもはっきりと、クイックシルヴァがその壺をさかさにして、――だから、おしまいの一杯を注ぐ時に、一しずくも残さず牛乳をあけてしまったことを見ていたわけです。勿論、少しだってあとに残っている筈はありませんでした。でも、もう本当にないのだということを、はっきりとクイックシルヴァに見せてやろうと思って、彼女は壺を取り上げて、彼の鉢へ牛乳を注《つ》ぐ真似をして見せましたが、少しでも牛乳が出て来ようなどとは、勿論夢にも思っていなかったのでした。だから、沢山の牛乳がどくどくと流れ出して、泡を立てながら、たちまち鉢一杯になって、それからテイブルの上まで溢れ出した時の彼女の驚きはどんなだったでしょう! クイックシルヴァの杖にからんでいる二疋の蛇は、首をのばして、こぼれた牛乳をなめはじめました(但し、ボーシスもフィリーモンも、ちょうどこれには気がつきませんでしたが)。
 それにまた、その牛乳はなんともいえない、いい匂いがしました! まるでフィリーモンの一頭きりの牛が、その日は、世界のどこにもないくらいいい草をたべて来たのかと思われるほどでした。僕は、大好きな君達みんなが、夕飯の時に、こんないい牛乳を飲むことが出来たら、どんなにいいだろうと思いますね!
『それから今度は、黒パンを一きれいただきましょう、ボーシスおばあさん、』クイックシルヴァは言いました、『それから、その蜂蜜を少しばかり!』
 そこで、ボーシスは彼にパンを一きれ切ってやりました。彼女とおじいさんとが切ってたべた時、そのパンはどちらかといえば、ぱさぱさしていて、皮が固くて、うまくなかったのに、今度は、まるで焼いてからまだ幾時間もたっていないかのように、軽くて、しめり気があるのでした。テイブルにこぼれた屑をたべてみると、今までにパンをこんなにおいしいと思ったことがないほどいい味がするので、おばあさんは、ほとんど自分がこねて焼いたパンとは思えないくらいでした。しかし、ほかのパンである筈はありませんでした。
 おう、しかし、蜂蜜と来たら! 僕はここで、それがどんなにいい匂いがして、どんなにいい色をしていたかを、くどくどと説明したりしないで、そっとしておいた方がいいかも知れません。その色は、少しもまじりけのない、澄み切った金の色で、匂いといったら、千も花を集めたようでした。それも、地上の花園に咲く花ではなくて、蜜蜂が雲の上高く飛んで行かなくては、見つからないような花の匂いです。ここにただ不思議なのは、それほどいい匂いで、凋《しぼ》む日もなく咲きほこる花壇にとまりながら、蜜蜂がフィリーモンの庭にある巣などへ、よくもまあ帰って来たものだということです。こんな結構な蜂蜜は、誰もまだ、たべたことも、見たことも、かいだこともないでしょう。その香気は、台所のあたりにただよって、何ともいえないほど気持がいいので、目を閉じると、たちまちにして低い天井や、くすぶった壁を忘れてしまって、この世のものとも思えないような匂いを放つすいかずら[#「すいかずら」に傍点]が一杯にからんだ東屋《あずまや》にいるような心地がしたことでしょう。
 ボーシス婆さんは、何も知らない年寄でしたが、いろいろこうしたことが起っているのは、どうも何にしても、ただごとではないと思わずにはいられませんでした。そこで、お客様達にパンと蜂蜜とをすすめ、めいめいの皿に葡萄を一房ずつおいてから、フィリーモンの傍に坐って、彼女の見たことを、小声で彼に話しました。
『お前さん、こんなことって、今までに聞いたことがあるかい?』彼女は尋ねました。
『いや、まるでないね、』フィリーモンは、にっこり笑って答えました。『そして、お前、わしはどうもお前が、夢みたいな気持になって、ふらふらしていたんだと思うんだがね。もしもわしが牛乳をついでいたら、その辺のことはすぐに見抜いてしまっていただろうに。どうかして、お前が思ったよりもいくらか沢山、壺の中に牛乳が残っていたんだろうよ――ただそれだけのことさ。』
『ああ、うちの人、』とボーシスは言いました、『お前さんが、何と言おうと、この方々《かたがた》は、どうして、普通の人じゃないよ。』
『まあ、まあ、』とフィリーモンは、まだ笑いながら答えました、『多分そうだろう。あの人達はたしかに、もとは相当にやっていたらしい様子が見える。わしはあの人達が、こんなにおいしそうに夕飯を食べているのを見ると、嬉しい気がするよ。』
 お客様達は今度は、めいめい自分の皿の上の葡萄を取りました。ボーシスは(もっとよく見るために、自分の目をこすってみたのですが)葡萄の房が何だか大きく、立派になって、一つ一つの葡萄のたまも、もう少しで熟した汁ではち切れそうになっているように思いました。小屋の壁に這っている、古い、いじけたあの葡萄の木に、どうしてこんな実がなったか、それが彼女には全く分らない気がしました。
『大変うまい葡萄だな、これは!』クイックシルヴァは、一つ一つむしってたべながらそう言いましたが、一向|房《ふさ》は小さくもならないようでした。『一体、おじいさん、これはどこからもいで来たんです?』
『うちの木からですよ、』とフィリーモンは答えました。『その枝の一つが、向うの窓をくねくねと横切っているのが見えるでしょう。しかし、うちの家内もわしも、この葡萄をうまいなんて思ったことはないんですが。』
『僕はこんなうまいのをたべたことはありませんね、』とそのお客は言いました。『よかったら、このおいしい牛乳をもう一杯下さい。そうすれば、僕はもう殿様以上の夕飯をたべたことになるでしょう。』
 今度はフィリーモン爺さんが立上って、壺を取り上げました。というのは、彼はボーシス婆さんが彼に小声で話して聞かせた不思議なことが、一体本当なのかどうか知り度《た》くなったからでした。彼は自分の年取った妻が嘘《うそ》のつける人間ではないということ、そして、彼女が本当らしいと思ったことで間違っていたためしは殆どないということを知っていました。それにしても、これはまたあまりに不思議なことなので、彼は自分の目で、それを突き止めてみたいと思ったのでした。だから、彼は壺を手に取った時、こっそりと中をのぞいて見て、一滴だってはいっていなかったので、すっかり得心しました。ところが、たちまち壺の底から、小さな白い泉がもくもくと湧き出して来て、泡立った、いい匂いの牛乳で、壺の口まで一杯になってしまいました。フィリーモンが、驚いてその不思議な壺を取り落さなかったのが、めっけものでした。
『不思議をおあらわしになる旅の方々《かたがた》、御身《おんみ》達は何人《なにびと》であらせられますか?』フィリーモンは、さきにボーシスが驚いたよりもなお一層驚いて、そう叫びました。
『こうして御邪魔に上った客ですよ、フィリーモンじいさん、そしてあなたの友達さ、』年上の方の旅人は、どことなくやさしくていて、自然に頭が下るような、おだやかな、深味のある声で答えました。『わたしにも牛乳を一杯下さい。そしてこの壺が、困っている旅人のためと同じく、親切なボーシスとおじいさんとのためにも、決して空《から》になることのないように!』
 もう夕飯もすんだので、見知らぬ人達は寝室へ案内してほしいと言いました。老夫婦はもう少し彼等と話をして、自分達の感じている不思議の思いを述べたり、貧弱な夕飯が、あんな思いもよらないような、結構な、そして十分な御馳走となった喜びを語ったりしたいと思いました。しかし、彼等は年上の方の旅人の威厳に打たれてしまって、物を訊いてみる元気なんか出ませんでした。そして、フィリーモンがクイックシルヴァを脇へ引張って行って一体どうして古い土焼の壺の中へ牛乳の泉なんかがはいって来たんでしょうと訊くと、クイックシルヴァは彼の杖の方を指さしました。
『不思議のもとはすべてあれなんです、』クイックシルヴァは言いました、『そして、もしもおじいさんにそれが分ったら、一つ教えていただくとありがたいですね。僕にも自分の杖のことを何といっていいか分らないんです。それは、時々僕に夕飯を食べさしてくれるかと思うと、また時々それを盗んでしまったりするというような、変ないたずらを始終やるんです。僕がまあそんな馬鹿気たことを信じるとすれば、この杖には魔法がかかっているとでも言いますかね!』
 彼はそれ以上何も言わないで、ずるそうに彼等の顔を見たので、彼等は何だか彼にからかわれているような気がしました。クイックシルヴァが部屋を出て行くと、その魔法の杖は、彼のあとについて、ぴょんぴょん飛んで行きました。二人きりになってからも、その老夫婦は、しばらくその夕方の出来事について語り合って、それから床《ゆか》の上にごろりと横になって、ぐっすり眠ってしまいました。彼等は寝室を客達にゆずってしまったので、そこの板の間《ま》のほかに寝るところはなかったのですが、僕はその板の間《ま》が彼等の心のようにやさしく、やわらかであったことを心から祈ります。
 おじいさんとおばあさんとは、あくる朝、小早く起出しましたが、見知らぬ人達も、お日様と一しょに起きて、出発の用意をしました。
 フィリーモンは彼等に、ボーシスが牛の乳をしぼって、いろりで菓子を焼いて、それから多分いくつかの産みたての卵を見つけて、朝飯の用意をするまで、も少し出発を延ばすようにと、親切にすすめました。しかし客達は、暑くならないうちに、沢山歩いておいた方がいいと考えたようでした。そんなわけで、彼等はすぐ出発するといってききませんでしたが、その代り、フィリーモンとボーシスに、少し一しょに歩いて、どちらの道を行けばいいか教えてほしいと頼みました。
 そこで彼等四人はみんなで、古くからの友達のように話合いながら、家を出ました。老夫婦が知らず識らずのうちに年上の方の旅人と親しくなり、彼等の善良単純な心が、まるで二滴の水が限りない大海にとけ込むように、彼の心にとけ込む有様は、本当に不思議な
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