彼は何だか変な身形《みなり》をして、頭には、両方の耳の上へ鍔《つば》が突き出したような一種のふち無し帽をかぶっていました。夏の夕方だのに、彼は外套を着て、それをぴったりと身にまとっていましたが、多分下に着ているものが見すぼらしかったからでしょう。フィリーモンは、また、彼が変った靴を履《は》いているのに気がつきました。しかし、もうそろそろ暗くなりかけていたし、年寄の目はあまりよくなかったので、そのどこのところが変っているのかは、はっきり分りませんでした。しかしたしかに、一つ不思議なことがありました。それは、その旅人が、おそろしく身軽で、活発で、何だか足が時々ひとりでに地面から浮き上るようでもあり、骨を折って、やっと地面につけて歩いているようにも見えることでした。
『わしも若い時分には、いつも足の早い方だったが、』とフィリーモンはその旅人に言いました。『それでも、夕方になって来ると、いつも足が重くなったものですがねえ。』
『いい杖ほど歩いて行く助けになるものはありませんよ、』その旅人は答えました、『それにちょうど僕は、ごらんの通り、とてもいい杖を持ってるものですから。』
 この杖は、実際、フィリーモンが今までに見たこともないような、変てこな杖でした。それはオリーヴの木で出来ていて、頭の方に近く、一対の小さな翼のようなものがついていました。それから、木彫の二疋の蛇が、その杖に巻きついているところになっているのですが、それがまたあまりよく出来ているので、フィリーモン爺さんは、(だんだん眼もかすんでいたでしょう、だから)ほとんどその蛇が生きているのかと思って、それがくねくねとうごめいているのが見えるような気がしました。
『ほんとに、妙な細工物ですね!』彼は言いました。『翼の生えた杖なんて! こういったような杖は、小さな男の子が、馬乗りになって遊ぶのに持って来いですね!』
 この時にはもう、フィリーモンと彼の二人のお客様とは、家の戸口のところへ来ていました。
『お前さん方、』と老人は言いました、『このベンチにかけて、休んで下さい。うちの家内が、何か夕飯にさし上げるものはないか、見に行っていますから。わし達は貧乏人です。しかし、何か膳戸棚にありさえすれば、喜んで御馳走しますよ。』
 若い方の旅人は、無頓着に、どっかりとベンチに腰をおろしましたが、それと一しょに杖を落しました。そしてこの時、ほんのつまらないことながら、ちょっと不思議なことが起りました。その杖がひとりでに地面から起き上って、その小さな両方の翼をひろげて、半分|跳《は》ねるように、そして半分は飛ぶようにして、家の壁のところに立てかけたようになったのです。そのままそれはじっとしてしまって、ただ巻きついた蛇が、相変らずうごめいているだけでした。しかし、僕の考えでは、フィリーモン爺さんの眼が悪いから、またそんな風に見えたのかと思います。
 爺さんが何か訊いてみようと思っているうちに、年上の方の旅人が彼に話しかけて、その不思議な杖から彼の注意を外《そ》らしてしまいました。
『ずうっと古い昔には、いま村のあるところ一帯が、湖だったんじゃありませんか?』とその旅人は、大変深い調子の声で尋ねました。
『わしが知ってからは、そんなことありませんよ、お前さん、』とフィリーモンは答えました、『わしもごらんの通りの年寄ですがね。以前から、今の通りの野原や牧場ですよ、それから、古い木も、谷のまん中をせせらぎ流れる小川もね。わしの知っている限りじゃ、おやじの代にも、またそのおやじの代にも、同じことだったようですよ。そしてこのフィリーモンじじいが、死んで、忘れられる時が来ても、やはり同じことでしょうよ!』
『そうとばかりも言いきれない、』と見知らぬ人は言いましたが、その深い声には、どことなく大変きびしいところがありました。そのうえ、彼は頭を振りましたが、そのために彼の黒い、どっしりとした巻毛が、ぶるぶるとふるえました。『向うの村に住む人間たちが、彼等の天性の愛と情《なさけ》とを忘れてしまった上は、湖が再び彼等のすまいの上に、漣《さざなみ》をたてた方がいいかも知れない!』
 その旅人の顔附があまりきつかったので、フィリーモンはほんとにちょっとこわくなったくらいでした。それに、彼が顔をしかめると、夕闇が俄かに一層暗さを増すように思われ、彼が頭を振ると、空中でごろごろと雷のような音がするので、よけいにこわくなりました。
 しかし、すぐそのあとで、その見知らぬ人の顔が、大変やさしく、おだやかになったので、老人はすっかりこわさを忘れてしまいました。それでも彼は、この年上の方の旅人は今こそこんな見すぼらしいなりをして、徒歩で旅行をしているけれども、決してただの人ではないにちがいないと感じないではいられませんでした。しかし、フィリーモンは彼をお忍《しの》びの殿様とか何とかいったような人と思ったわけではなく、寧ろどこかの非常な賢人で、お金やそのほか世間的な慾をすっかり捨てて、こんなきたないなりをして世の中を歩きまわって、至るところで、少しずつでも智慧を磨《みが》こうとしているのだと思ったのです。この想像の方がずっと当っているようでした。何故ならば、フィリーモンは目を上げてその人の顔を見た時、彼が一生かかって学ぼうとしても及ばないような深い考えが、その顔にあらわれていることが、一目《ひとめ》見て分る気がしたからです。
 ボーシスが夕飯の用意をしている間に、その旅人達は、フィリーモンと大変うちとけて話し合うようになりました。若い方の人は、本当に、とてもよくしゃべって、なかなか鋭い、気のきいたことをいうので、いいおじいさんはもう大笑いに笑いつづけて、お前さんは近頃にない面白い人だと言いました。
『ねえ、お若い方、』彼は、二人がだんだん親しくなると、そう言い出しました、『わしはお前さんの名を、どう呼んだらいいかな?』
『そうですねえ、僕は、ごらんの通り、すばしこいでしょう、』その旅人は答えました。『だから、僕をクイックシルヴァと呼んで下されば、かなりぴったりした名だと思います。』
『クイックシルヴァ? クイックシルヴァ?』とフィリーモンは繰り返して、もしかその若い人が彼をからかっているのではないかと思って、その顔をのぞき込みました。『それは随分おかしな名ですね! そして、そのお連れの方は? やっぱりそんな妙な名前ですかい?』
『それは雷に訊いてもらわないと分らない!』とクイックシルヴァは、謎のような顔をして答えました。『雷ほどの声をしていないと言えないんです。』
 これは、本気か冗談か知らないが、もしもフィリーモンがおそるおそる年上の旅人の顔を見て、いかにもなさけ深そうだということが分らなかったら、とても怖気《おじけ》づいてしまったことでしょう。しかし、こんな小屋の戸口の傍に坐ったこともないようなえらい人が、今ここに来て、ただの人間みたいにして坐っていられるのだということだけは、間違いなさそうでした。その見知らぬ人は、いかにもおごそかに、フィリーモンがいやでも心の奥底まで打明けて言ってしまわないではいられなくなるような風に口をききました。これは、人々が、彼等のいいことも悪いこともすっかり分ってくれて、しかもそれを少しも馬鹿にしないほどかしこい人に出あった時に、必ず感じる気持です。
 しかし、フィリーモンは、単純な、やさしい心の老人だったので、打明ける秘密とても、あまりありませんでした。それでも、彼は今までの生活について、随分しゃべりました。その長い年月の間、彼はこの家から、二十マイルと離れたこともないのでした。彼の妻ボーシスと彼とは、若い時分からずっと、この小さな家に住んで、正直に働いて食って、いつも貧乏でしたが、それでも満足していました。彼はボーシスがどんなにいいバタやチーズをこしらえるか、そして彼が庭につくる野菜物がどんなにおいしいかを話しました。それからまた、彼等夫婦はお互に深く愛し合っているので、死別《しにわかれ》はいやだから、一しょに暮らして来たように、一しょに死にたいというのが、二人の願いだと話しました。
 見知らぬ人はそれを聞いて、顔一杯に微笑しましたが、その表情はおごそかでありながら、またやさしいものでした。
『あなたはなかなかいいおじいさんだ、』と彼はフィリーモンに言いました、『そして、つれあいとしていいおばあさんをお持ちだ。あなた方の願いはかなえられていいと思う。』
 そして、フィリーモンには、ちょうどその時、夕焼雲が西の空から輝かしい光を発して、空が急にぱっと明るくなったような気がしました。
 ボーシスはやっと夕飯の支度が出来たので、戸口のところへ出て来て、どうも大変つまらないものしかお客様達に差上げられないけれどもと、ことわりを言いはじめました。
『もしもあなた方がおいでなさることが分っていたら、』とばあさんは言いました、『じいさんとわたしとは、なんにも食べないでも、もっといい夕飯を差上げるのでしたに。しかしわたしは、今日の牛乳は大方チーズをこしらえるのに使ってしまったし、残っていたパンも半分たべてしまったところでした。ほんとにまあ! 平常《ふだん》はなんとも思いませんが、こうしてお気の毒な旅の方《かた》が、立寄って来られた時ばかりは、貧乏が悲しくなりますわい。』
『万事うまく行きますよ。心配無用だ、おばあさん、』と年上の旅の人は、やさしく言いました。『本当に、心から、客を喜んで迎えれば、食べ物や飲み物に奇蹟が起って、どんな粗末なものでも、神の酒となり神の食物となり得《う》るのです。』
『それは喜んでお迎え申しますよ、』ボーシスは叫びました、『それに、少し残っていた蜂蜜と、それから紫の葡萄の一房くらいはございますから。』
『そりゃ、ボーシスおばあさん、大した御馳走だ!』クイックシルヴァは笑いながら叫びました、『全くの御馳走だ! そして、僕がそれをどんなに盛んにたべるか、見ていて下さいよ! 僕は生れてから、こんなに腹がへったことはない気がする。』
『まあ困ってしまったねえ!』とボーシスは、おじいさんに小声で言いました。『あの若い方《かた》がそんなにひどくお腹《なか》がへっているんなら、夕飯が半分にも足らないかも知れない!』
 彼等はみんなで家の中へはいって行きました。
 さてこれから、君達、僕は君達が目をまるくしそうなことを聞かせましょうか? それはほんとに、この話全体のうちでも一番奇妙なことの一つなんです。クイックシルヴァの杖、――覚えているでしょう――それはひとりで家の壁にもたれかかりましたね。そうでしたね。ところが、この不思議な杖をそのままにして、主人が戸口をはいって行った時、その杖はどうするかと思うと、これはまた、すぐその小さな翼をひろげて、ぴょんぴょんと跳ねて、ばたばたと戸口の階段を上って行くじゃありませんか! それからとんとんと台所の床を歩いて行って、大変もったい振って、礼儀正しく、クイックシルヴァの椅子の傍に立って、はじめてその杖はとまりました。しかし、フィリーモン爺さんも、彼の妻と同じように、お客をもてなすことにすっかり気をとられていたので、その杖のしていることには、ちっとも気がつきませんでした。
 ボーシスが言ったように、二人のおなかのすいた旅人には、とても足りそうもない夕食が出ていました。テイブルのまん中には、黒パンの残りが置かれ、その一方には一きれのチーズ、他方には蜂蜜が一皿ありました。お客にはめいめい、ちょっとした葡萄の房もついていました。それから、牛乳を大方一杯入れた、中位な大きさの壺がテイブルの隅に置いてありましたが、ボーシスが二つの鉢にそれを注《つ》いで、客の前に出してしまうと、その壺の底には、ほんの少ししか牛乳が残っていませんでした。ああ! 物惜しみをしない人が、貧乏な境遇に苦しめられて、どうにもならないということは、なんと悲しいことでしょう。気の毒なボーシスは、もしもこれから一週間何もたべないでいると、このおなかのすいた客達に、もっと十分な夕食が出せるのだっ
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