りて、中々急にいできたらず、あまりの長きに退屈して、つと立ち上がりて、庭下駄引かけほろ酔に櫻色となりし美顔を風になぶらせながら、築山のうしろ泉水のまはりなど、そゞろありきしつゝ、流石やさしき文人とて、折にあひたる古歌などひくゝ口すさみ、我にもあらで立ずみし袂にさはりしものあるにぞ、何かとばかりおどろき見れば、いづこより投ぜしか、簪に結びし玉章一通足もとに落ちりてひろひあぐるを待ゐる風情、これ初恋の面影と、しるやしらずや月さへも、まよひの雲につゝまれて、ひかりもいとゞうすれゆく、艶にゆかしき夕なり。

   (四)

 芸者は一二度よびたる事もあれど、かゝるところは始めてなれば、何やらきまりわるさうな房雄の様子に、放蕩山人さては気に入らなくつてかうだのかと、内心すこしくしよげながら、しきりと機嫌をとる折りから、此家のお神お茶道具を持きたりて、例のあいそよきにこ/\顔にて「旦那今夜はどちらへ」といはれて山人頭をかき、房雄の顔を一寸見て「さ様さね……あなたどこにしませうね」房雄はいとゞきまりわるげに「どこつて、どこでも[#「どこでも」は底本では「とこでも」]いゝです」お神はホゝと笑ひながら「
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