れば、すこしは気晴しになると思うんですの」
しかし良人には妻の意が汲みかねた。
「気晴しッて、それアまた何のことだい? 芝居かい、夜会かい。それとも、巴里へ行って美味《うま》いものを食べようッてのかい。だがねえ、お前はここへ来る時に、そういうような贅沢な真似が出来ないッてことは得心《とくしん》だったはずじゃないのかい」
良人のこの言葉とその調子には非難が含まれていることに気がついたので、彼女はそのまま口をつぐんでしまった。彼女は臆病で、内気な女だった。反抗心もなければ、強い意志も持っていなかった。
一月のこえを聞くと、骨をかむような寒さが再び襲って来た。やがて雪が降りだして、大地は真ッ白な雪に埋《うず》もれてしまった。ある夕がた、真ッ黒な鴉の群がうずを巻きながら、木立のまわりに、雲のように拡がってゆくのを眺めていると、彼女はわけもなく泣けて来るのだった。いくら泣くまいとしても、やッぱり泪《なみだ》がわいて来た――。
そこへ良人が這入って来た。妻が泣いているのを見ると、良人はびッくりして訊くのだった。
「一体どうしたッて云うんだい、え?」
そう云う良人は、ほんとうに幸福な人間だった。世の中にはさまざまな生活があり、さまざまな快楽《たのしみ》があるなどと云うことは、夢にも考えてみたことはなく、現在の自分の生活、現在の自分の快楽に満足しきっている彼は、世にも幸福な人間だった。彼はこうした荒寥たる国に生れ、ここで育ったのである。彼にとっては、こうして自分の生れた家で暮していることが、心にも体にも、いちばん愉しいことだった。世の中の人間が変った出来事を望んだり、次から次へ新らしい快楽を求めたりする心持が、彼にはどうしても解らなかった。世間には、四季を通じて同じ場所にいることを、何か不自然なことのように思っている人間がある。どうしてそんなことを考えるのか、彼には全くそういう人間の気が知れなかった。春夏秋冬《はるなつあきふゆ》、この四つの季節は、土地を変えることによって、それぞれ新らしい変った悦びを人間に齎《もたら》すものだと云うことが、彼にはどうしても呑み込めなかったらしい。
だから彼女には返事が出来なかったのである。なんにも云わずに、ただ泪を一生懸命に拭いた。なんと云えばいいのか、彼女には分らなかった。やっとの思いで、頻りに云い澱《よど》みながらこう云った。
「あ
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