狂女
モオパッサン
秋田滋訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)普魯西《プロシア》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「鷸」のへんとつくりが逆、86−1]
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 実はねえ、とマテュー・ダントラン君が云った。――僕はその山※[#「鷸」のへんとつくりが逆、86−1]《やましぎ》のはなしで、普仏戦争当時の挿話をひとつ思い出すんだよ。ちと陰惨なはなし[#「はなし」に傍点]なんだがね。
 君は、コルメイユの町はずれに僕がもっていた地所を知っているだろう。普魯西《プロシア》の兵隊が押寄せて来た頃は、僕はあそこに住んでいたのだ。
 その頃、僕のうちの隣りに、まあ狂女《きちがい》と云うのだろう、妙な女がひとり住んでいた。たび重なる不幸で頭が変《へん》になってしまったんだね。話はすこし昔にかえるが、この女は二十五の年紀《とし》に、たった一月《ひとつき》のうちに、その父親と夫と、生れたばかりの赤ン坊を亡くしてしまったのだった。
 死と云うやつ[#「やつ」に傍点]は、一たびどこかの家へ這入《はい》ると、それから後《あと》は、もうその家の入口をすっかり心得てでもいるように、すぐまたその家を襲いたがるものらしい。
 年わかい女は、可哀そうに、その悲しみに打ちのめされて、どッと床《とこ》に臥就《ねつ》いてしまい、六週間と云うものは譫言《うわごと》ばかり云いつづけていた。やがて、この烈しい発作がおさまると、こんどは、倦怠とでも云うのだろう、どうやら静かな症状がつづいて、さしもの彼女もあまり動かなくなった。食事もろくろく摂《と》ろうとはせず、ただ眼ばかりギョロギョロ動かしていた。誰かがこの女を起そうとすると、そのたびに、今にも殺されでもするかと思われるように、声をたてて泣き喚くのだった。まったく手がつけられない。で、この女はしょッちゅう寝かしっきりにされていて、身のまわりのこととか、化粧の世話とか、敷蒲団を裏返すような時でもなければ、誰も彼女をその蒲団のなかから引ッぱり出すようなことはしなかった。
 年老いた下婢《かひ》がひとり彼女のそばに附いていて、その女が時折り飲物をのませたり、小さな冷肉の片《きれ》を口のところまで持っていって食べさせてやったりして
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