いた。絶望の底にあるこの魂のなかでは、どんなことが起っていたのだろう。それは知るよし[#「よし」に傍点]も無かった。彼女はもう口をきかないんだからね。死んだ人たちのことでも考えていたのだろうか。はッきりした記憶もなく、ただ悲しい夢ばかり見つづけていたのだろうか。それともまた、思想《かんがえ》というものが跡形もなく消え失せてしまって、流れぬ水のように、一ところに澱んだままになっていたのだろうか。
十五年という永い年月の間、彼女はこうして一間《ひとま》にとじ籠ったまま、じッと動かなかった。
戦争が始まった。十二月のこえを聞くと、この町にも普魯西の兵隊が攻めて来た。
僕はそれを昨日のことのように覚えている。石が凍って割れるような寒い日のことだった。痛風がおきて僕自身も身動きが出来なかったので、ぼんやり肱掛椅子に凭《よ》りかかっていた。折しも僕は重々しい律動的な跫音《あしおと》をきいた。普魯西の軍隊が来たのだ。そして僕は窓から彼等の歩いてゆく姿を眺めていた。
普魯西兵の列は、蜿蜒《えんえん》として、果てしもなく続いた。どれを見てもみな同じように、例の普魯西の兵隊独特の操り人形よろしくと云った恰好をして歩いている。やがて、頭立った将校があつまって、部下の将兵を民家に割りあてた。僕のうちには十七人、隣りの狂女のところには十二人来ることになったが、その十二人のうちには少佐がひとりいた。これがまた、ひどく頑冥な老朽士官で、鼻ッぱしの荒い、気むずかし屋だった。
最初の幾日かのあいだは何ごともなく過ぎた。その将校には、前もってこの家《や》の主婦が病気で隣室に寝ていることが耳に入れてあったので、彼のほうでも、そのことは別に気にもとめなかった。ところが、そうこうするうちに、彼はその女がただの一度も姿を見せないことに業《ごう》を煮やして、病気のことを訊いてみた。すると、この家の主婦は悲しい悲しい目にあったことが因《もと》で、十五年このかた、ああして寝たッきりであるという返事。しかし、彼にはどうもそれが真実《ほんとう》だとは思われなかった。哀れな狂女が床を離れずにいることを、根性まがりの女の自尊心が然らしめるところだという風に釈《と》った。普魯西の兵隊などには会うまい。断じて口を利くまい、触れもしまい、そう云うはら[#「はら」に傍点]でああして床を離れないのだと思った。
そこで将校
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