特にむかし流行った枝模様のついた絹の服を著た母の姿が私の脳裡をしきりに往ったり来たりした。と、私はある日母がその服を著て、「ロベエルや、よござんすか、体躯《からだ》をまッすぐにしてないと猫背になってしまって、一生なおりませんよ」と、私に云っていたその言葉を思い出した。
また、別な抽斗をいきなり開けると、私は恋の思い出にばッたりぶつかった。舞踏靴、破れたハンカチーフ、靴下どめ、髪の毛、干からびた花、――そんなものが急に思い出された。すると私の生涯の懐かしい幾つかの小説[#「小説」に傍点]が私をいつ果てるとも知れぬものの云いようのない憂愁の中に沈めてしまった。この小説中の女主人公たちは今でも生きていて、もう髪は真ッ白になっている。おお、金色の髪の毛が縮れている若々しい額、やさしく撫でる手、物云う眼、皷動《こどう》する心臓、唇を約束する微笑、抱愛《ほうあい》を約束する唇!――そして最初の接吻、思わず眼を閉じさせる、あのいつ終るとも見えぬながいながい接吻、あの接吻こそやがて女のすべてを我が物にする、限りない幸福に一切のものを忘れさしてしまうのだ。
こうした遠く過ぎ去った旧い愛の文《ふみ》を
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