ある自殺者の手記
モオパッサン
秋田滋訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)深更《しんこう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]
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 新聞をひろげてみて次のような三面記事が出ていない日はほとんどあるまい。

[#ここから2字下げ]
 水曜日から木曜日にかけての深更《しんこう》、某街四十番地所在の家屋に住む者は連続的に二発放たれた銃声に夢を破られた。銃声の聞えたのは何某氏の部屋だった。ドアを開けてみると借家人の某氏は、われと我が生命《いのち》を断った拳銃を握ったまま全身あけ[#「あけ」に傍点]に染って打倒れていた。
 某氏(五七)はかなり楽な生活《くらし》をしていた人で、幸福であるために必要であるものはすべて具《そなわ》っていたのである。何が[#「何が」に傍点]氏をしてかかる不幸な決意をなすに到らしめたのか、原因は全く不明である。
[#ここで字下げ終わり]

 何不足なく幸福に日を送っているこうした人々を駆って、われと我が命を断たしめるのは、いかなる深刻な懊悩《おうのう》、いかなる精神的苦痛、傍目《はため》には知れぬ失意、劇《はげ》しい苦悶がその動機となっての結果であろうか? こうした場合に世間ではよく恋愛関係の悲劇を探したり想像してみたりする。あるいはまた、その自殺を何か金銭上の失敗の結果ではあるまいかと考えてみる。結局たしかなところを突止めることは出来ないので、そうした類いの自殺者に対しては、ただ漠然と「不思議な」という言葉が使われるのだ。
 そうした「動機もなく我とわが生命を断った」人間の一人が書き遺していった手記がその男のテーブルの上に発見され、たまたま私の手に入った。最後の夜にその男が弾をこめたピストルを傍らに置いて書き綴った手記である。私はこれを極めて興味あるものだと思う。絶望の果てに決行されるこうした行為の裏面に、世間の人が極《きま》って探し求めるような大きな破綻は、一つとして述べられていない。かえってこの手記は人生のささやかな悲惨事の緩慢な連続、希望というものの消え失せてしまった孤独な生活の最後に襲って来る瓦解をよく語っている。この手記は鋭い神経をもつ人や感じやすい者のみに解るような悲惨な最後の理由を述べ尽しているのである。以下その手記である、――

 夜も更けた、もう真夜中である。私はこの手記を書いてしまうと自殺をするのだ。なぜだ? 私はその理由を書いてみようと思う。だが、私はこの幾行かの手記を読む人々のために書いているのではない、ともすれば弱くなりがちな自分の勇気をかき[#「かき」に傍点]立て、今となっては、遅かれ早かれ決行しなければならないこの行為が避け得べくもないことを、我とわが心にとく[#「とく」に傍点]と云って聞かせるために綴《つづ》るのだ。
 私は素朴な両親にそだてられた。彼らは何ごとに依らず物ごとを信じ切っていた。私もやはり両親のように物ごとを信じて疑わなかった。
 永いあいだ私はゆめ[#「ゆめ」に傍点]を見ていたのだ。ゆめ[#「ゆめ」に傍点]が破れてしまったのは、晩年になってからのことに過ぎない。
 私にはこの数年来一つの現象が起きているのだ。かつて私の目には曙のひかり[#「ひかり」に傍点]のように明るい輝きを放っていた人生の出来事が、昨今の私にはすべて色褪せたものに見えるのである。物ごとの意味が私には酷薄な現象のままのすがた[#「すがた」に傍点]で現れだした。愛の何たるかを知ったことが、私をして、詩のような愛情をさえ厭うようにしてしまった。
 吾々人間は云わばあとからあとへ生れて来る愚にもつかない幻影に魅せられて、永久にその嬲《なぶ》りものになっているのだ。
 ところで私は年をとると、物ごとの怖ろしい惨めさ、努力などの何の役にも立たぬこと、期待の空《うつろ》なこと、――そんなことはもう諦念《あきら》めてしまっていた。ところが今夜、晩の食事を了《おわ》ってからのことである。私にはすべてのものの無のうえに新たな一と条《すじ》の光明が突如として現れて来たのだ。
 私はこれで元は快活な人間だったのである! 何を見ても嬉しかった。途《みち》ゆく女の姿、街の眺め、自分の棲んでいる場所、――何からなにまで私には嬉しくて堪らなかった。私はまた自分の身につける洋服のかたち[#「かたち」に傍点]にさえ興味をもっていた。だが、年がら年じゅう同じものを繰返し繰返し見ていることが、ちょうど毎晩同じ劇場へはいって芝居を観る者に起きるように、私の心をとうとう倦怠と嫌悪の巣にしてしまった。
 私は三十年このかた来る日も来る日も同じ時刻に臥床《ふ
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