2−11]ってみたところですぐまた同じところへ来てしまう。いくら※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]ったって限りのない円なのだ。そこには思いがけぬ枝道があるのでもなく、未知への出口があるわけでもない。ただぐるぐる※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]っていなければならないのだ。同じ観念、同じ悦び、同じ諧謔《かいぎゃく》、同じ習慣、同じ信仰、同じ倦怠のうえを、明けても暮れてもただぐるぐると――。
今夜は霧が深くたち籠めている。霧は並木路をつつんでしまって、鈍い光をはなっている瓦斯《ガス》灯が燻《くすぶ》った蝋燭のようにみえる。私の両の肩をいつもより重く圧《お》しつけているものがある。おおかた晩に食ったものが消化《こな》れないのだろう。
食ったものが好く消化れると云うことは、人間の生活のうちにあってはなかなか馬鹿にならないものなのだ。一切のことが消化によるとも云える。芸術家に創作的情熱をあたえるのも消化である。若い男女に愛の欲望をあたえるのも消化である。思想化に明徹《めいてつ》な観念をあたえるのも、すべての人間に生きる悦びをあたえるのもやはり消化である。食ったものが好く消化れれば物がたくさん食えもする(何と云ってもこれが人間最大の幸福なのだ。)病弱な胃の腑は人間を駆って懐疑思想に導く。無信仰に誘う。人間の心のなかに暗い思想や死を念《ねが》う気持を胚胎《はいたい》させるものだ。私はそうした事実をこれまでに幾度となく認めて来た。今夜食べたものが好く消化していたら、私もおそらく自殺なんかしないで済んだろう。
私は三十年このかた毎日腰をかけて来た肱掛椅子に腰を下ろした時に、ふと自分の周りにあるものの上に眼を投げた。と、私は気が狂ってしまうかと思ったほど劇《はげ》しい悲哀《かなしみ》にとらわれてしまった。私は自分というものから脱れるためにはどうしたら好いかと考えてみた。何か物をすることは、何もしずにいることよりもいっそういやなことだと思われた。私はそこで自分の書いたものを整理しようと考えたのである。
私は久しい前から机の抽斗《ひきだし》を掃除しようと思っていたのだ。私は三十年来、同じ机の中へ手紙も勘定書もごたごたに放り込んでいたからだ。抽斗の中が手のつけようもないほどとッ散らかっていると思うと私は時折り厭な気持になることもあった。だが私は、整頓するということを考
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