能になった時、氏がどんなにその別れをはかないものに思ったことか!
「ひと月たてばまた会えますわ、だって仕方のないことですもの、ひと月たったらいらっしてね」
 相手のひとの瞳に、何か濡れたものが光ったと寺内氏はいった。
 そんな風にして、この奇怪な一週間は終わったのであるが、彼女の家を辞して再び氏が町の人となった時、もう氏は以前の一文なしではなかった。それが罪であるか男らしくないことであるかは知らぬ、とにかく寺内氏は充分ふた月は生活できる金をふところにしたのである。
 が、この物語はこれで終わったのではない。小さな事件とはいえ、そうして寺内氏が彼女のもとを辞して久し振りに往来へ出た時、危く氏を轢《ひ》き殺そうとした自動車のあったことを記しておかなければならぬ。その自動車は、まるで氏の命を狙うかのように、氏が右へ避ければ右へ、左へかわせば左に向かって、五分に近い間、電車通りの真ん中を、右に左に氏を追ったのである。が、不思議に――正に不思議にである――氏はその難から逃れることができ、やがて氏にはつつましいながら新しい生活が始まったのであるが、ひと月たって思いかねた氏がその不思議な町へ行って見
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