進入したるやも知れずとの考えは、おそらく最高の程度において事実らしからぬことなり。されども、それにもかかわらず、可能なることなり。列車が軌道《レール》なき土地を進行するは明らかに不可能なり。従《したがっ》て吾人《ごじん》は、この「事実らしからぬこと」を次の三引込線に帰せんとするものなり。すなわち、カーンストック引込線、ビッグ・ベン引込線、パーシヴィアランス引込線の三を「可能なる」ものと認むるものなり。思えらく、右諸炭坑には、一種の秘密結社の如きものあって、列車をも乗客をも闇の中に葬り去るべき奇怪なる能力あるにや? こは事実らしからぬことに見えて、実は決して事実らしからぬことにあらず……………吾人はここに確信をもって会社に忠告し、もって、会社が該引込線と、その終点に働く労働者等につき、全力を傾注して探査せんことを希望するものなり云々。』
 この推測は、さすがにこうした事件に関して定評のある権威《オーソリティー》の説だけに、かなりの興味を惹起したのは無理もない。しかし、またこの説に対して反駁を試みる者は、論者は善良な人々に対して不自然な誹譏《ひき》を予想するものであるといって攻撃の矢をむくいたりした。ある者はまた次のように論じた。『列車は過《あやま》って軌道《レール》を滑り出した後《のち》、数百ヤードの間|軌道《レール》に沿うて流れておるランカシアー運河の中へ陥没してしまったものだろう』と。けれどもこの臆説は不幸にしてたちまち却下された。運河の水深が発表された結果、そうした巨大な物体を水底に匿《かく》し横たえておるべく余りに浅いことがわかったのである。その外《ほか》にも、いろいろ勝手な臆説、仮説を立てるものもあった。が、その時に当って、突如として全く思いがけない一つの挿話《エピソード》が湧上った。
 というのは、例の失踪列車の車掌だったジェームス・マックファースンの妻が、夫マックファースンから一通の手紙を受取ったということなのだ。手紙は、その年の七月五日付で、米国の紐育《ニューヨーク》から投函されたもので、彼女の手に渡ったのは七月十四日の事だった。それは、彼女の証言によれば、紛《まが》うべくもない本人の筆蹟で、殊に中には、米国の五|弗《ドル》紙幣で百|弗《ドル》の大金が封入してあったのだ。手紙には宿所が記入してなかったが、文言は次のようだった――
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『我が親愛なる妻よ。――自分は今まで考えに考えた。が、自分は到底お前と別れ別れになっておるに忍びないことを覚《さと》った。リッジーに対しても同様である。自分はこの心と戦って来たのだ、けれども自分の胸にはやはりいつもいつも御前が帰って来るのだ。英貨にすれば二十|磅《ポンド》の金、それだけの金を自分はお前宛に送る。それだけあればお前とリッジーとが大西洋を航海して来るに充分だと思う。そしてお前は、サザムプトンへ寄港するハンブルグ汽船会社の船でやって来るがいい。[#「。」は底本では欠落]船もよいし、リヴァプール汽船会社のよりは賃金も廉《やす》い。もしお前がここへ来てくれて、ジョンストン館《ハウス》へ投宿するなら自分は何等かの方法で、お前に会う手段を講ずるつもりである。しかし現在自分は身の置き所もないほどの身だ、それにお前達二人を忘れかねて、非常に不幸な日を送っているのだ。今はこれにて、お前の愛する夫から――ジェームス・マックファースン。』
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 そして、一時は、この手紙こそやがて全事件の真相を説明するものに相違ないのだと人々からは確信をもって予想されもしたのだ。彼女はその妹のリッジー・ドルトンを連れて、手紙の趣のように紐育《ニューヨーク》へ渡って、指定のジョンストン館《ハウス》に三週間も滞在した。けれども夫たる失踪者からは一言の知らせさえもなかった。というのは、大方、それについて無分別にも色々書き立てたある新聞の記事に智慧をつけられて、本人のマックファースンが「ここでうかうか妻に会っては足がつく」と覚ったためでもあろう。細君の一行も、またリヴァプールまですごすごと引返《ひっかえ》さなければならなかった。
 かくして、カラタール氏等を載せた臨時列車の紛失事件が未解決のままに、今年まで徒《いたず》らに八年の歳月が流れた。ただ、不幸な二人の旅客の来歴を精《くわ》しく探査するにつれて、カラタール氏なる人が中央|亜米利加《アメリカ》における財政家で、政治的代表者であったこと、彼が欧洲への航海中、居ても立ってもおられないほど巴里《パリー》へ早く足を入れたがっていたという事実だけが解ったのであった。それからあの連れの男というのは、船客名簿にはエドゥアルド・ゴメズと記入されたが、この男こそは稀代の兇賊として、また暴漢として中央|亜米利加《アメリカ》を震駭《しんがい》
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