船員らはみな機嫌をよくしている。もし危険区域脱出の機会が見えたらば、少しの猶予《ゆうよ》もないようにと、機関室には蒸気が保たれて、出発の用意が整っている。
船長はまだ例の「死」の相《そう》から離れないが、元気は旺溢《おういつ》している。こう突然に愉快そうになったので、私はさきに彼が陰気であった時よりも更に面喰らった。わたしには到底《とうてい》これを諒解することが出来ない。私はこの日誌の初めの方にそれを挙げたと思うが、船長の奇癖のうちに、彼はけっして他人を自分の部屋へ入れないことがある。現に今もなおそれを実行しているのであるが、彼は自身で寝床を始末し、ほかの船員らにもこれを実行させている。ところが、驚いたことには、きょうその部屋の鍵をわたしに渡して、その船室へ降りて行って、彼が正午の太陽の高度を測っている間、船長の時計で時間《タイム》を取るようにと私に命令したのであった。
部屋は洗面台と数冊の書籍とをそなえた飾り気のない小さい室《へや》である。壁にかけられた若干《じゃっかん》の絵のほかには、ほとんど何の装飾もない。それらの多くは油絵まがいの安っぽい石版画であるが、ただ一つわたしの注意をひいたのは、若い婦人の顔の水彩画であった。
それは明らかに肖像画であって、舟乗りなどが特に心を惹《ひ》かれるような、想像的タイプの美人ではなかった。どんな画家でも、こんな性格と弱さとが妙に混淆《こんこう》したところのものを、その内面的から描き出すことは、なかなかむずかしいことであったろう。睫毛《まつげ》の垂れた不活発そうな物憂い眼と、そうして思案にも心配にも容易に動かされないような、広い平らな顔とは、綺麗に切れて浮き出した顎《あご》や、きっと引き締まった下唇と、強い対照をなしていた。肖像画の一方の下隅に、「エム・ビー、年十九」と書かれていた。わずか十九年の短い生涯に、彼女の顔に刻まれたような強い意志の力をあらわし得るとは、その時わたしにはほとんど信じられなかった。彼女は定めて非凡な婦人であったに相違なく、その容貌はわたしに非常な魅力をあたえた。私は単にちらりと見ただけであったが、もしわたしが製図家であるならば、この日記に彼女の容貌のあらゆる点を描き出すことがきっと出来るであろう。
彼女はわが船長の生涯において、いかなる役割りを演じたのであろうか。船長はこの絵をその寝床のはしにかけておくので、彼の眼は絶えずこの画の上にそそがれているはずである。もし船長がもっと無遠慮であったらば、何かこのことに関して観察することも出来たのであろうが、彼は無口で控え目の性質であったので、奥深く観察が出来なかったのである。
彼の室内のほかのものについては、なんら記録にあたいするようなものはなかった。――すなわち船長服、携帯用の床几、小形の望遠鏡、煙草の鑵《かん》、いくつかのパイプ及び水煙管《みずぎせる》――ちなみに、この水煙管は船長が戦争に参加したというミルン氏の物語に少しく色をつけるが、その連想はむしろ当たらないらしい。
午後十一時二十分。船長は長いあいだ雑談に花を咲かせた後、たった今寝床についた。彼が気の向いているときは、実に惚れぼれするようないい相手である。非常に博識で、しかも独断的に見ゆることなしに、強く自己の意見を表示する力を持っている。それを思うと、わたしは自分の頭のよく働かないのが忌《いや》になる。
彼は霊魂の性質について話した。そうして、アリストテレスやプラトンの説をよく消化して、問題のうちに点出した。彼は輪廻《りんね》を学び、ピタゴラス(紀元前のギリシャの哲学者)の説を信ずるもののようである。それらを論じているうちに、われわれは降神術の問題に触れた。私はスレードの詐欺に対して、ふざけた引喩《いんゆ》をしたところ、彼は有罪と無罪とを混同しないようにと、はなはだ熱心にわたしに向かって警告した。そうして、キリスト教と邪教とをひとしく心に刻するのは正しい議論である、なぜなれば、キリスト教を詐《いつわ》りよそおったユダは悪漢《わるもの》であったと彼は論じた。それから間もなく、彼はお寝《やす》みと言って、自分の部屋へ退いて行った。
風は新たになり、確かに北から吹いている。夜は英国の夜のごとくに暗い。あすは、この氷の桎梏《かせ》からのがれ得ることを祈る。
九月十七日。再びお化け騒ぎ。ありがたいことに、わたしは至極大胆である。意気地のない水夫らの迷信と、熱心なる自信をもってかれらが語る詳細の報告とは、かれらの平生に慣れていない者を戦慄させるであろう。
妖怪事件については、多くの説がある。しかしそれらを要約すれば、何か怪しいものが船の周囲を終夜飛びあるくというのである。ピーターヘッドのサイディ・ムドナルドもそれを見たと言い、シェットランドの背高《せいたか》のっぽうのピーター・ウィリアムソンもそれを見たと言い、ミルン氏もまたブリッジで確かに見たという。これで都合三人の証人があるので、二等運転士が見た時よりは、船員の主張がいっそう有力になってきた。
朝食の後、私はミルン氏に話して、こういうばかばかしいことには超然としていなければならず、また、ほかの船員らによい手本を示さなければならないと言ってやった。ところが、彼は例によって何かを予言するように、風雨にさらされたその頭をふって、特殊の注意を払いながら答えたのは、こうであった――。
「おそらくそうであるかもしれず、そうでないかもしれないよ、ドクトル」と、彼は言った。「僕はそれを幽霊と呼びはしなかった。これについてはいろいろの言い分もあるが、僕は海お化けや、この種のものについて、自分の信条を本当らしく言い拵《こしら》えるようなことはしないつもりだ。僕はむやみに怖がるのではない。しかし明かるい日中にとやかく言わず、もし君がゆうべ僕と一緒にいて、あの怖ろしい形をした、白い無気味《ぶきみ》なものが、あっちへ行ったり、こっちへ来たりして、ちょうど母親を失った仔羊《こひつじ》のように、闇のなかを泣き叫ぶのを見たら、おそらく君だってぞっとしたろうと思う。そうすれば、君も、ばかばかしい話だなどと、そう簡単には片付けてしまわないだろうよ」
わたしは彼を説きつける望みはないと思って、この次にもしまた幽霊があらわれたらば、私を呼び上げてくれるように特に頼んでおくのほかはなかった。――この頼みを、彼は「そのような機会はけっして来ないように」との願いをあらわす祈りのことばをもって、ともかくも承知だけはすることになった。
五
わたしが望んだごとく、われわれのうしろの氷面が破れて、細い水の条《しま》が現われて来た。それが遠く全体にわたって拡がっている。今日われわれが在《あ》るところの緯度は北緯八十度五十二分で、これはすなわち氷群に南からの強い潮流がまじっていることを示すのである。風が都合よく吹きつづくならば、結氷と同じ速さでまた解氷するであろう。現在のわれわれは、煙草をふかして機会を待ち望むのほかに何事も手につかない。わたしは急激に運命論者にならんとしつつある。風や氷のような、とかく不確実な要素のものばかりを取り扱っていると、人間もしまいにはそうならざるを得ない。マホメットの最初の従者らの心を運命に従わしめたものは、おそらくアラビア砂漠の風か砂であったろう。
このようなお化け騒ぎが、船長に対して非常に悪い影響を与えてしまった。わたしは彼の敏感な心を刺戟するのを恐れて、このばかばかしい話を隠そうと努めていたが、不幸にして彼は船員の一人がこの話をほのめかしているのを洩れ聞いて、どうしてもそれを聞こうと言い出した。そうして、わたしが予期した通り、それがために船長のいったん鎮《しず》まっていた心がまた大いに狂い出した。これが昨夜、最も批判的聡明と最も冷静なる判断とをもって、哲学を論じたその同一人とは、とうてい信ぜられなかった。彼は後甲板を檻のなかの虎のようにあちらこちらと歩き廻っている。時どきに立ち停まって、うっとりとした様子で手を突き出しながら、何かたえられないように氷の上を見入っているのである。
彼は絶えずつぶやいている。そうして一度「ほんのちっとの間、愛して……ほんのちっとの間!」と叫んだ。
ああ、可哀そうに。立派な海員にして教養ある紳士が、こんな境遇に落ちてゆくのを見るのは悲しいことである。また真の危険もただ生活の一刺戟に過ぎぬとしているような船長の心を、あの空想と妄想とが威嚇するかと思うと、さらに悲しくなるのである。発狂せる船長と、幽霊におびえている運転士との間に、かつて私のような地位に立った者があるだろうか。わたしは時どきに思うのであるが、おそらくあの二等機関手を除いては、私がこの船中でただ一人の正気の人間ではあるまいか。しかし、かの機関手も一種の瞑想家で、彼を独りでおく限り、またその道具を掻きみださない限り、彼は紅海の悪魔に関するほかは何も注意しないのである。
氷は依然として速《すみや》かにひらいている。明朝出発することが出来そうな見込みはじゅうぶんである。国へ帰って、、これまでにあった不思議な出来事を話したらば、みんなきっと私が作り話をしていると思うであろう。
午後十二時。私は実にもう、ぞっとしてしまった。今はいくぶん落ち着いてはきたが、これとても強いブランディを一杯引っかけたお蔭である。以下この日記が証明するように、私はいまだ全く自己を取り戻してはいないのである。わたしは非常に不思議な経験を味わった。そうして、私にはどうしても合理的だとは思われないような事物を、かれらをたしかに見たというので、私は船中の者をみな狂人ときめてしまったが、今となってはそれが果たして正しいかどうか、はなはだ疑わしくなってきたのである。ああ、こんなつまらないことに神経を奪われてしまうとは、私もなんという大馬鹿者であろう。これはすべての馬鹿騒ぎのあとから起こったことであるが、ここに書き加える価値があると思う。いつも馬鹿にしていたことも、今みずからこれを経験するに及んで、もはやミルン氏の話も、例の運転士の話も、いずれもこれを疑うことが出来なくなったからである。
畢竟《ひっきょう》、これとてたいしたことではない――ただ一つの音だけであったに過ぎない。私はこの日記を読まれる人が、いつかこの条《くだり》を読むとしても、私の感情と共鳴し、あるいはその時わたしに及ぼしたような結果を実感せられるであろうとは思わない。
さて夕食が終わって、私は寝《しん》に就く前に、しずかに煙草をふかそうと思って、甲板へ登って行った。夜は甚《はなは》だ暗く――その暗さは、船尾端艇《ウォーターボート》の下に立っていてさえも、ブリッジの上にいる運転士の姿が見えないほどであった。前にも言った通り、非常な沈黙がこの氷の海に充《み》ち満ちているのである。この世界のほかの部分では、たといいかに不毛の地であろうとも、微《かす》かながらも大気の振動というものがある。――遠くの人の集まっている処からも、あるいは木の葉から、あるいは鳥の翼《つばさ》から、または地をおおう草のかすかなざわめきの音からさえも、何かかすかな響きがあるものである。人間は積極的に音響を知覚こそしないが、もし音というものが全然なくなってしまうと、実に物足りなくて寂しいものである。測り知られざる真の静けさが、あらゆる現実の無気味さをもって、われわれの上に押しせまっているのは、ここ北極の海においてのみで、わずかなつぶやきの声をも捉《とら》えんとして緊張し、船中にちょっと起こった小さい物音にまで熱心に注意する、われと我が鼓膜に気がつくのである。
こんな心持ちで、わたしは舷檣にひとり倚《よ》りかかっていると、ほとんど私のすぐ下の氷から、夜の静寂の空気を破って、鋭い尖《とが》った叫び声がひびいてきた。
最初はあたかも楽劇の首歌妓《プリマドンナ》も及ばぬような佳《い》い音調で、それがだんだんに調子を上げて、ついにその頂点は苦痛の長い号泣と変わってしまった。これは死者の最期の絶叫であったかも
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