しのつかないことだからね。僕の弟のミクロフトの方は、どうも金が入用だったので、これは止むを得なかったのだ。しかもロンドンにおいての、事態の進捗は、どうも僕が予期したようにうまくはいってくれなかった。モリアーティ一味の者に対する審問は、その中《うち》の最も怖るべき人物で、僕に対しては最も復讐の念に燃えている者を二人も放免してしまった。そこで僕は二年の間は西蔵《チベット》に旅行し、拉薩《ラッサ》に遊んで、剌麻教《らまきょう》の宗長とたのしい数日も暮した。君はあの諾威人《ノールエじん》シガーソン[#「シガーソン」は底本では「シガーリン」]の、有名な探険記を読んだかもしれないが、しかしおそらく君はその中で、君の友人の消息については、何物も知るところは無かったろう。それから僕は波斯《ペルシャ》を通りメッカを見物し、それからちょっとではあったが、カァールトウムのカリファに、興味ある訪問をした。そしてこの事は僕は、外務省には通報しておいた。フランスに帰ってからは、数ヶ月の間、コールタールの誘導物の研究に没頭し、南方フランスのモントプリーエの研究所では指導してやった。それから僕は、満足する結果を得、またロンドンには、僕を狙う敵がただ一人っきり居ないと云うことを知ったので、もう出発しようと思っていた矢先に、かのレーヌ公園の魔の事件があったので、僕の行動は急に敏活となった。この事件は、事件そのものも、大に僕にさし迫るものもあったが、またその外に、ある個人的な、特殊な機会も含まっておるように思われたのだった。僕は早速ロンドンに直行したが、まず自らベーカー街に現われて、ハドソン夫人を驚かして、癪を起されてしまった。弟のミクロフトは、実によく僕の書斎を管理していてくれて、新聞紙などまでが、全く昔日の通りにきちんと整理されていた。さてワトソン君、このようにして僕は、今日の二時には、あの昔馴染の室の、昔馴染の椅子に収まったと云うわけさ。そこで僕のこの上の希望は、他のもう一つの椅子に、これまでしばしばあったように、わが親友の、ワトソン君を迎えることの出来ることなんだがね」
以上のことは、僕はこの四月の宵に聞いた、驚異すべき物語りであるが、この物語りはもちろん、もし僕が現に、彼の脊の高い痩せた身体と、鋭い熱意のあふれた顔とを確に見なかったら、――もっともこれはとても二度とは逢われるものと夢想もしな
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