女はこっそり自分の部屋に逃げ込もうとして、自分自身の亭主に声をかけられると、アッと驚いて、おずおずと怖がっているのを見ては私はだまってはいられませんでした。――がやがて彼女は
「まあ、あなた起きてらしったの? ジャック」
 と、苦しげに笑いを浮べながら云いました。
「おやすみなんだろうと思ったのよ」
「どこへいって来たの?」
 と、私は少しけわしい声で訊ねてみました。
「ねえ、あなたびっくりなすったんでしょう」
 と、彼女は申しました。彼女の手の指はぶるぶるふるえて、マントをとることも出来ないほどでした。
「私、こんなことを、今までにただの一度もした覚えはないわ。私ね、咽喉《のど》がつまりそうな気がしたのよ。だから、しばらく外の空気を吸って来たの。――私、外へ出て行かなければ、死んじまったのかもしれないと思うわ。私、入口の所にしばらく立っていたの。でも、もう、すっかり大丈夫なの」
 彼女はそう云ってる間中《あいだじゅう》、ただの一度も私をまともに見ようともせず、また彼女の声の調子は、不断とはまるきり違っておりました。私には彼女が嘘をついてると云うことがはっきり分りました。私は何も返事をしないで、壁のほうを向いたまま、どうしてやろうかと考えました。私の心は恐ろしい疑念や猜疑心で一ぱいでした。――私の妻が私に隠していることはどんな事なんだろう。そして一体さっきはどこへいって来たんだろう。――私はそれらを確めるまでは、到底平和な気持ちになることは出来ないと思いました。けれどそのまま、二度と彼女に質問しようとはしませんでした。そしてその夜《よ》は一晩中、私はそれらのことを確める方法を考えて、まんじりともせずに転輾反則《てんてんはんそく》しました。が、どの方法を考えてみても、結局、いそいでなじったりなどしないほうがよさそうでした。
 そうこうしているうちに夜《よ》があけましたが、その日、私は町へ行く手筈《てはず》になっていたのです。しかし私の心はすっかり滅茶滅茶になっていて、到底商売上の取引などは出来そうにもありませんでした。また私の妻も私と同じようにすっかり平静さをなくしているらしく見えました。私には、彼女が窺《うかが》うようにチラッと私を見た目つきでそれが分ったのです。そして彼女はまた、彼女が前の晩した云いわけを私がちっとも信じていないと云うことを知っていて、どうにかしよ
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