暗号舞踏人の謎
コナン・ドイル
三上於莵吉訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鳥冠《とさか》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)七|哩《まいる》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「口+愛」、第3水準1−15−23]
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 ホームズは全く黙りこんだまま、その脊の高い痩せた身体を猫脊にして、何時間も化学実験室に向っていた。そこからは頻りに、いやな悪臭がただよって来る、――彼の頭は胸に深くちぢこめられて、その恰好は、鈍い灰色の羽毛の、黒い鳥冠《とさか》の奇妙な鳥のようにも見えた。
「そこで、ワトソン君、――」
 彼は突然に口を開いた。
「君は南アフリカのある投資事業に、投資することは、思い止まってしまったのだね」
 私はサッと驚かされてしまった。私は彼の不思議な直覚力と云ったようなものには、毎度のことでよく慣れていたが、しかしこの私の胸中の、秘中の秘事にずばりっと図星を指されたのには、全くあきれ返ってしまった。
「一たい君は、どうしてその事を知っていたのだね?」
 私は訊き返した。
「さあワトソン君、ぐうの音が出まいがね」
「いや、全くその通りだ」
「それではね君、とにかくきれいに参ったと云う一札《いっさつ》を入れたまえ」
「それはまたどうしてさ?」
「いや、実はもう五分の後には、君はきっと、それは馬鹿馬鹿しくわかり切ったことだと云うに相違ないからだよ」
「いやいや、僕は決して、そんなことは云わないよ」
「ワトソン君、それでは御説明に及ぶとしようかね」
 ホームズは試験管を架にかけて、教授が講堂で、学生たちに講義でもする時のような恰好で話し出した。
「先人の研究材料を基本として、それを単純化して、推論の系統を立てると云うことは、決してそう難しいことでもないのだ。そしてもしこう云う試《こころみ》をして、誰かが中心思潮となっている論説を覆して、更にその聴衆に、新《あらた》な出発点と結論とを与えたら、それはたしかに、キザたっぷりなことではあるが、しかし一つの驚歎すべき結果をもたらしたと云ってよかろう。さて、君の左の人差し指と拇指《おやゆび》の間の皮膚の筋を見て、君が採金地の株を買わなかったと云うことが、あまり首をひねりまわさない中《うち》に解ったと云うわけさ」
「どうも僕には何の事か解らないね」
「いや誠に御もっとも至極――しかしこれはごく手短に説明することが出来るんだ。ここにそれぞれ取り外れていた、鎖の輪があるからね。第一には、君が昨夜|倶楽部《くらぶ》から帰って来た時は、君の左の手の指のあたりに、白いチョークがついていたこと。第二には、君が玉を突く時は棒《キュー》の辷《すべ》りをよくするために、チョークをつける習慣のあること。第三には、君はサーストン氏との外《ほか》には、決して玉を突かないこと、――第四には君が四週間前に、サーストン氏は、南アフリカの採金地の株式募集をやっているが、その締切りまでは一ヶ月あるので、君にも加入してくれと云って来たと話したことのあったこと、――第五には、君の小切手帳は、僕の抽斗《ひきだし》に入って錠が下りているが、しかし君はその鍵を決して僕に請求しなかったこと、――第六には、君がこのようにして、この株式に申込をしなかったと云うこと、――」
「ははははははは、何と云う馬鹿馬鹿しく解り切ったことだ!」
 私は叫んだ。
「全くその通りさ」
 彼はちょっと不気嫌になって云った。
「どんな問題でも、一通りわかってしまうと君には皆小供だましのように解り切ったものになってしまうのだ。ではここに未解決の問題があるが、ワトソン君、これには君はどう云う解釈を与えるね?」
 彼は一枚の紙を机の上に放り出して、また化学の分析の方に向き直った。
 私はそれを見て驚いてしまった。それは、何かの符牒の文字のようなものであった。
「何んだ、――これは小供の絵ではないか――ホームズ君!」
 私は叫んだ。
「ははははははは、そんなものに見えるのかね!」
「じゃ何なんだね?」
「これは、ノーフォークのリドリング公領[#「リドリング公領」は底本では「リドリユグ公領」]のヒルトン・キューピット氏が、しきりに知りたがっていることなんだがね。この謎のような問題は、第一回の郵便配達で来て、その人は二番列車でその後から来ることになっているのだ。ああワトソン君。ベルが鳴っているが、あるいはその人かもしれない――」
 重々しい足取りが、階段にきこえたと思う中《うち》に、一人の紳士が入って来た。脊の高い、血色のよい、綺麗に剃《あ》てられた紳士で、その澄んだ目、輝く頬、――と、ベーカー街の霧の中から
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