は遥に離れた処に生活している人に相違ないと思われた。彼が室《へや》の中に入って来た時に、どこか強健なきびきびしたような、東海岸独特の香《におい》が、ただよって来るようであった。彼は我々二人と握手を交わして、さて腰かけようとした時に、私が見て机の上に置いてあった、不思議な記号のようなものに目を止めた。
「ああホームズさん、――これをどう云う風にお考えになりましたか?」
彼は叫んだ。
「あなたは大変、奇妙な神秘的なことをお好きでいらっしゃるそうですが、しかしこれはまた一段と、奇妙不可思議なものでしょう。私はあなたが、私が来る前に研究しておかれるようにと思って、前もってお送りしたわけです」
「これはたしかに奇妙なものですな」
ホームズは云った。
「ちょっと見れば、子供の悪戯画《いたずらがき》のようにも思われるし、また、紙の上を踊りながらゆく、でたらめな小さな姿の、絵のようでもありますね。一たいこんな変な、得体の知れないものに、どうしてそんな勿体振った意味をつけようと仰有るのですか?」
「いや、私は決してそう云うつもりではないのですが、ただ私の妻が大変なのです。実は妻が全く気絶するほど、これに驚かされたのです。彼の女は何にも云いませんが、しかし私はその目の中に、非常な驚怖《きょうふ》を見て取りました。それでそれを穿鑿《せんさく》してみたいと思ったわけです」
ホームズは紙片を取り上げて、太陽の光線をその上に直射せしめた。その紙片は、ノートブックから離し取ったもので、鉛筆で次のような象形《かたち》が画かれてあった。
[#図1入る]
ホームズはしばらくの間、それを検《しら》べていたが、やがて、叮嚀《ていねい》に折りたたんで、自分の手帳の間にはさんだ。
「これはとても面白い、稀有の事件かもしれない」
彼は云った。
「ヒルトン・キューピットさん、あなたはお手紙の中《うち》では、二三具体的なことを書かれてありましたが、しかしこの友人のワトソン博士のために、もう一度一通りお話し下さいませんか」
「どうも私は説明は拙劣《まず》いのですが、――」
我等の訪客は、その大きな強い手を、組んだり放したり、もじもじさせながら、神経質に語り出した。
「いずれお解りにならないところは、そちらの方からお訊ね下さい、――私は去年、結婚した時のことから申しますが、まずその前にお耳に入れておきたいことは、私の家は、決して金持ではありませんが、ここ約五世紀の間は、現在のリドリング村に住んでいて、ノーフォーク地方では、第一の旧家だと云うことです。去年の五十年祭には私はロンドンに来て、ランセル街の宿泊所に滞在しました。それは私の教区の牧師の、パーカーさんが滞在していた関係から、そこを選んだのでした。そうするとそこに、亜米利加《アメリカ》の若い婦人が居たのでした。パートリックと云う名前で――すなわちエルシー・パートリックと云う女でしたが、――ふとした機会から、私共は友人になってしまいましたが、その滞在中に私は、遂に男性並々に、その女と恋愛関係に陥ってしまったのでした。それで私共は早速結婚の手続をすまし、夫婦としてノーフォークに帰って来ました。とにかく少しは知られている旧家の人間が、こんな風にして、全くその身元調査もろくろくしないで、結婚してしまうなどということは、とても乱暴なことと思われるでしょうが、しかしそのことは、私の妻を御覧下されて、彼の女を知って下されば、お解りになると思われますが、――
とにかく彼の女は、――エルシーは卒直でした。もし私が訊ねさえしたら、何もかも隠さずに云ってくれたと思っています。「わたしにはとても厭な思い出がありますのよ」こう云って彼の女は語るのでした。「わたしはそれをどうにかして忘れてしまいたいと思いますわ。わたしはもう一切それには触れたくはありませんの。ヒルトンさん、あなたがもしわたしを求めて下さるなら、そりゃ過去において一点の曇もない女性を得ることになると申しますが、しかしいずれあなたは、わたしの言葉を全部信じて下さって、わたしの過去については、何にも訊ねないと云うことを約束して下さい。それでこのお約束が無理だと仰有るのでしたら、どうぞわたしをこのままのこしてノーフォークにお帰り下さい」と、これは私達の結婚の前日に、彼の女が私に云った言葉でした。それで私は彼の女の言葉をそのまま容れて、その後もこの約束をかたく守って来たのでした。
そしてその後私共は、この一年の間、結婚生活をつづけて来ましたが、私共は実に幸福でした。しかしほぼ一ヶ月前、――六月の末頃に、私は始めて煩累《わざわい》の兆を見たのでした。その頃妻は亜米利加《アメリカ》の消印のある手紙を受け取ったのでしたが、その時彼の女の顔は気絶しないばかりに蒼白になり、手紙を読んでから、
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