如く西暦第五世紀の頃には香料の濫費を戒しめる意味で、遂に消費制限の法令が出た程であるが、その最も盛んだつたのはネロ大帝の頃のことで、かのポッペアの葬礼に際して大帝が消費した香料の量は当時の香料国アラビアの一年の産額に匹敵するものであつたと云ふ。当時ローマの香料商は殷賑を極め、ミレプシと呼ばれて居た。何しろ富裕な市民は日に三回宛高貴な香油を身体中に塗ることを以て特権と心得、その度に美人の奴隷によい着物を着せて美しい香入れを持たせ、彼を召し連れて市設浴場テルメーに通ふのであつた。そして先づフリジダリウムと称する冷水プールに入つて心を冷やし、次にテビダリウムと云ふ暖房で一憩みし、それからカルダリウムと名づけられる蒸し風呂で出るだけの汗を出してしまひ、其処を出て冷水浴で汗を綺麗に洗ひ落し、最後にウンクツアリウムと称する部屋に行くと、奴隷が身体中を揉み柔らげ古い脂を掻きとつた上、新らしい香油をすり込むのである。当時用ひられた香油は概して固形脂肪に賦香した膏薬やうのものであつたが、乾燥粉末状の香料もあつた。但し後者は主として部屋や衣服の賦香に使用されて身体に塗るのではない。身体に塗る脂の方には『に
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