、自分と死を共にしなければならないその人間が、完全に不具であることを、さとっていた。そして、この共同所有という絆《きずな》はそれだけでも彼の悩みのもっとも深刻なものであったが、そのほかに、彼はハイドを、生命力は強いにしても、どこか地獄の鬼のようなところばかりではなく、何となく無機物らしいところのあるものと、考えた。その地獄の粘土が叫んだり声を立てたりするように思われること、その定まった形のない土塊《つちくれ》が身振りをしたり罪を犯したりすること、死んだ無形のものが生命の働きをうばうということ、これはいかにも恐ろしいことであった。また、その反逆的な恐ろしいものが妻よりも身近に、眼よりもぴったりと彼に結びつけられて、彼の肉体のなかに閉じこめられ、そのなかでそれが呟くのが聞こえ、生まれ出ようともがいているのが感じられ、いつでも弱っている時や、安心して眠っている時には、彼にうち勝って、彼の生命を奪ってしまうということも、恐ろしいことであった。ハイドのジーキルに対する憎悪は、それとは違った種類のものであった。彼の絞首台への恐怖はいつも彼を駆りたてて一時的に自殺させ、一個の人間ではなくてジーキルの一部であるという従属的地位に返らせた。しかし、彼はそんなことをしなければならぬのを嫌い、ジーキルが近ごろ元気がなくなっているのを嫌い、自分自身が嫌われているのを怒った。そのために彼はよく私に猿のような悪戯をし、私の書物のページに私自身の手跡で涜神の文句をなぐり書きしたり、手紙を焼きすてたり、私の父の肖像画を破ったりした。そして実際、彼が死を恐れなかったなら、彼は私を巻きぞえにして死滅させるために、とっくに自殺をしていたであろう。しかし、彼の生に対する愛情は驚くほどのものであった。私はもう一歩進んで言おう。彼のことを思っただけでも胸が悪くなりぞっとする私でも、この卑劣で熱烈な愛着を思いだすとき、また自殺によって彼をきり放すことのできる私の力をどんなに彼が恐れているかを知るとき、彼をあわれむ気持が私の心のうちにおこるのであった。
このうえ長くこの記述を続けることは、無駄であるし、またその時間も全くない。ただ、これほどの苦しみを受けたものは、まだこれまでにだれ一人もない、というだけにしておこう。それでも、こういう苦しみにさえ、習慣が――決してそれを軽くしたわけではないが――一種の心の無感覚、一種の絶望的な諦めをもってきた。そして、この懲罰は、いま私に振りかかっている最後の災難がなかったならば、まだまだ何年も続いたことであろう。ところが、その災難は私自身の顔や性質を私から永久に切りはなしてしまったのである。私の塩剤の貯えは、はじめの実験以来一度も新しく買い入れたことがなかったが、それがだんだんと少なくなってきた。私は新しいのを取りよせ、薬を調合した。すると沸騰がおこって、第一回の変色はあったが、二回目の変色がおこらなかった。私はそれを飲んだが、それは効きめがなかった。私がどんなにロンドンじゅうをさがし回らせたか、君はプールから聞けばわかるであろう。それも無駄であった。それで、私は、自分の最初に手に入れたのが不純であって、あの薬に効験を与えたのは、その未知の不純性であったのだと、今では確信している。
それからざっと一週間たった。そして私はいま、あの前の散薬の最後の分の効力によってこの陳述書を書き終ろうとしているのである。だから、ヘンリー・ジーキルが自分自身の考えを考え自分自身の顔(今はなんとひどく変ったことであろう!)を鏡の中に見ることができるのは、奇跡でも起こらないかぎり、これが最後である。それに、この手記を書き終えるのにあまり永く手間どってはならないのだ。なぜなら、この手記がこれまで破られなかったとすれば、それは非常な用心と非常な幸運とが結合したためであった。これを書いている最中に変身の苦しみが私をおそうようなことがあれば、ハイドはこれをずたずたに引き裂いてしまうだろう。しかし、もし私がこれを片づけてしまってから幾らか時間がたっていたなら、彼の驚くべき利己主義と刹那主義とは、多分、その猿のような悪意のいたずらから、今一度これを救うであろう。それに、実際、我々二人に迫っている最後の運命は、とっくに彼を変え、彼をおし潰してしまった。今から半時間もたてば、私は再び、そして永久に、あの憎み嫌われる人間に変っているであろうが、そのときには、私が椅子に腰かけてどんなに震えて泣いているか、または、どんなに耳をすまして極度に張りつめた恐怖のために無我夢中になって、この室(この世での私の最後の避難所)をあちこちと歩きながら、自分を脅かすすべての物音に聴き耳を立てているかということを、私は知っているのだ。ハイドは処刑台上で死ぬだろうか? それとも最後の瞬間になって逃れるだけの勇気があるだろうか? それは神さまだけがご存じである。私はどちらでもかまわない。これが私の臨終の時なのだ。そしてこれから先におこることは私以外の者に関することなのだ。だから、ここで私がペンをおいてこの告白を封緘しようとするとき、私はあの不幸なヘンリー・ジーキルの生涯を終らせるのである。
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注
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七頁 カインの主義 カインはアダムの長子で、弟アベルを殺した男。旧約聖書創世記第四章第八―九節に「彼等野におりける時、カインその弟アベルに起ちかかりて、これを殺せり。エホバ、カインに言いたまいけるは、汝の弟アベルはいずこにおるや、彼言う、我知らず、我あに我が弟の守者《まもりて》ならんや、」とあるので、ここにアッタスンが「カインの主義」と言ったのは、知っていて知らぬ振りをすることを意味したのである。
一九頁 デーモンとピシアス 二人とも古代ギリシアの人で、その友情の厚いので有名であったので、「デーモンとピシアス」という語は、漢語における管鮑の交、刎頸の友、莫逆の友即ち親友を意味すること、「ジーキルとハイド」が二重性格を意味するようなものである。
二一頁 彼がハイド氏なら…… ハイドという名は「|隠れる《ハイド》」という語と発音が同じであり、シークは「探す」という意味である。「ハイド・アンド・シーク」は隠れんぼを意味するので、その洒落である。
二五頁 フェル博士 別に理由がなくて人に嫌われたという人物。
八九頁 あのフィリッパイの囚人のように フィリッパイは昔のマケドニアの都市、聖書のピリピであって、この「フィリッパイの囚人」はパウロとシラスとをさす。使徒パウロとシラスとがフィリッパイに伝道に赴き、その地で投獄せられた。「夜半ごろパウロとシラスと祈りて神を賛美するを囚人ら聞きいたるに、俄かに大いなる地震おこりて、牢舎の基ふるい動き、その戸たちどころに皆ひらけ、すべての囚人の縲絏《なわめ》とけたり、」と新約聖書使徒行伝第十六章第二十五―六節に記されているところから、言った文句である。
九四頁 壁にあらわれたあのバビロニアの指 昔バビロンの王ペルシャザルが酒宴を開いている最中に、人の手の指があらわれて、王宮の壁に解し難い形の文字を書いた。王は大いに恐れて、バビロンの知者どもにそれを解き明かさしめようとしたが、皆読むことができなかった。ダニエルが召されて、その文字を読み、王の治世の終りと国の分裂とを示すのであると言った。その予言はその後間もなく実現された。旧約聖書ダニエル書第五章に記されている故事である。
九九頁 逃遁の邑 古代ユダヤで誤って人を殺した者を庇護した町である。旧約聖書民数紀略第三十五章、ヨシュア記第二十章などに記されている。
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解説
「ジーキル博士とハイド氏」は、単に固有名詞としてのみならず、二重性格[#「二重性格」に傍点]を意味する普通名詞としても亦、普く世界中に知られているくらいに、有名な小説である。原作の標題は[#ここから横組み]“The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde”[#ここで横組み終わり](「ジーキル博士とハイド氏の怪事件」)であって、ロバート・ルーイス・スティーヴンスン(一八五〇―一八九四)の一八八五年の作、翌一八八六年一月に初めて出版されたものである。
この作の創作過程については、既に種々の伝説[#「伝説」に傍点]が存在している。とにかく、「新アラビア夜話」及び「宝島」の出版によって初めて文学的名声を得たスティーヴンスンが肺患に悩みながらヨーロッパ大陸からイギリスに帰り、イングランド南海岸の保養地ボーンマスに父から買って貰ってスケリヴォーと名づけた家に病を養っている間、詩集「子供の詩の園」、長編小説「オットー王」などの脱稿の後、一八八五年、金の必要に迫られて、何か速く書き上げることのできそうな小説を頻りに考えている時に、或る夜見た夢[#「夢」に傍点]によって、この二重人格の物語を思い付いたのだという。その夢に関しても諸説があるが、彼が夢みたのは、恐らく、彼自身の言っているように、一人の男が戸棚の中に押しこめられている時に薬を飲んで他の人間に変ったという場面だけくらいのものであって、他は目覚めている時に構想されたのである。彼は友人との合作戯曲「執事僧ブローディー」、短篇小説「マーカイム」など類似の題目を過去において幾度か扱っており、人間の二重性を主題とした物語を書くことを以前から意図していたのであった。最初の草稿は烈しい勢で忽ち書き上げられた。それを彼の妻が読み、寓話であるべきものが幾分平凡な物語になっていて、寓意が明らかにされていないと非難した。彼はその非難を認めて、異った見地から新たに書き直すことにし、完全な改作ができないことを恐れて最初の原稿を焼き棄て、再び白熱の興奮の中に約三万語の作を僅か三日間で書き上げたと言われている。尤も推敲と完成にはその後約一カ月を要したという。ともかく、スティーヴンスン自身の言葉によればこの書が「考察され、書かれ、書き直され、再び書き直され、印刷された」のが「十週間以内」であったというのは、真実であろう。
こうしてこの作は一八八五年の秋の末頃には既にロンドンのロングマンズ、グリーン社から単行本として出版される準備が出来ていたが、出版社の営業上の理由から延期され、翌八六年の一月中旬に発行された。最初は別に顧みられなかったが、「タイムズ紙」に紹介の一文が出るに至って世の注目を惹き、他の批評が続々と現われ、また聖《セント》ポール大会堂でその道徳的寓意《モラル》が説教の材料とされるに及んで、各地の教会の牧師も好んでこの作を引用し、世評は益々高まり、この書は大いに読まれて、一伝記者に従えばバイロン卿の如く「スケリヴォーの病隠遁者も一朝目覚めて自己の名高きを知った」のである。かくしてスティーヴンスンはこの一小編によって作家としての名声を完全に確立するに至った。この二年前に彼の出世作「宝島」の出現が世に迎えられた時もそれの最初の出版から一年間に売られた部数は約五千に過ぎなかったが、「ジーキル博士とハイド氏の怪事件」は数カ月にして五万部を売り、更に大西洋を越えてアメリカにおいてもポーに比されて直ちに歓迎された。そして今日においては、前述の如く、全世界において「ジーキル博士とハイド氏」または「ジーキルとハイド」と言えば二重人格を意味するくらいに一般的となっているのである。
作そのものについては茲に解説しない。エドガー・アラン・ポーの「ウィリヤム・ウィルスン」、オスカー・ワイルドの「ドーリアン・グレーの肖像画」などと共に、この種の文学としては世界的古典となっているが、それらとの比較も読者にとって興味ある題目であるだろう。
この翻訳は訳者所蔵の一八八六年ロングマンズ、グリーン社発行の初版本に拠ってなした。この書は同年発行の後の版を蔵しておられる市河博士の折紙付きで、その見返しの裏に鉛筆で書き込んであるように、今日ではあるいは[#「あるいは」に傍点][#ここから横組み]“first
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