ていた子供の頃から、自分の職業生活の克己的な労苦を思いうかべ、最後には、まるで夢のような気持で、その晩のあの呪わしい惨事をいくどもいくども思い出したのであった。私は声をあげて泣きたいくらいであった。私は涙をながし神に祈りながら、自分の記憶にあつまって自分を責めるかずかずの恐ろしい光景や物音を抑えつけようとした。それでもやはり、その祈りの間から、私の罪悪の醜い顔が私の心の中をじっと睨みつけるのであった。この悔恨の烈しさがだんだんに消えかかると、それに続いて喜びの情がおこった。私の行状の問題は解決したのだ。これから後はもうハイドになることができないのだ。否でも応でも、私は今では自分の存在の善い方に限られたのだ。そして、おお、それを考えると私はどんなに喜んだろう! どれほど喜んでつつましやかな気持で、私は自然の生活の拘束を新しく受け入れたことだろう! どれほど心から思い切って、これまであんなにちょいちょい出入りしていた戸口の錠を下ろし、その鍵を踵の下に踏みにじったことだろう!
翌日、その殺人を見下ろしていた者があったこと、ハイドがその犯罪をしたのだということが世間に知れわたっていること、またその被害者が世に重んぜられている人であったこと、などの報道がされた。それは単に犯罪ではなく、悲惨な愚かな行為であったのだ。私はそれを知ると喜んだと思う。私は、自分の善い方の衝動が処刑台を恐れる心によって、このように支えられ護られていることを、喜んだと思う。ジーキルはいまや私の逃遁《のがれ》の邑《まち》で*あった。ハイドがちょっとでも顔をだそうものならば、彼を捕えて殺すために、すべての人々の手が挙げられるであろう。
私はこれからの行為によって過去をつぐなおうと決心した。そして、この決心がいくらかの善を生んだということを、偽りなく言うことができる。昨年の終りの数カ月の間、どんなに熱心に私が人の苦しみを救うために骨折ったかは、君も知っている通りである。他人のために多くのことをし、自分も平穏に、ほとんど幸福に日を過ごしたということは、君も知っている通りである。そしてまた、私がこの潔白な慈善生活に倦きたと言うのはほんとうではない。それどころか、私は一日一日と一そう完全にその生活を楽しむようになったと思う。しかし、私はやはりあの意志の二重性に呪われていた。そして、悔悟の最初のするどい切先が鈍ると、永いあいだ勝手気ままにされていて、つい近ごろになって鎖で繋がれてしまった、私の下等な方面が、自由をもとめて唸りはじめた。と言っても、私がハイドを復活させようなどと夢にも思ったのではない。そんなことは思っただけでも私は気がふれるほど驚いたであろう。いや、私がもう一度自分の良心を弄ぶように誘惑されたのは、私自身のそのままの体でであった。私がとうとう誘惑の攻撃に負けてしまったのは、ありきたりの密かな罪人《つみびと》としてであったのだ。
すべてのものには終りがくる。どんなに大きな桝目でも遂には一ぱいになる。そして、私が自分の悪い心にちょっとの間でも従ったことは、とうとう私の心の平衡を破ってしまったのである。それでも私はそれに気がつかなかった。その堕落は、私が、私の発見をまだしなかった昔へ返るようにきわめて自然なことに思われた。美しく晴れた一月のある日のことであった。足の下は霜がとけていて湿っていたが、空には一片の雲もなかった。リージェント公園では冬の鳥の囀りがいたるところにきこえ、春の匂いが甘くただよっていた。私は日向《ひなた》でベンチに腰をかけていた。私のうちの獣性は過去の歓楽を思い出して舌なめずりをしていた。精神的方面は、あとになって悔やむことをわかっていながら、まだ動く気にならずに、うつらうつらしていた。結局、私は自分が隣人たちと同じなのだと考えた。それから、自分を他の人々と比べ、自分が慈善をして活動していることと、他人が冷酷に無頓着でなまけていることを比べて、微笑した。すると、そういう自惚れたことを思っている最中に、とつぜん気分が悪くなって、怖ろしい嘔き気ととても烈しい身ぶるいとにおそわれた。それがなくなると、私は気を失った。やがて、その失神も続いてしずまると、私は自分の考え方にある変化が起こり、一そう大胆になって、危険をみくびり、義務の束縛が解かれたのに気がつきはじめた。私は下を見た。私の衣服は縮まった手足にだらりと垂れさがり、膝の上に載っている手は筋張って毛だらけだった。私はまたもやエドワード・ハイドになっているのだ。一瞬前までは私は確かにすべての人の尊敬を受けて、富み、愛されていたし、――家の食堂には私のために食事の支度がしてあった。ところが今は、私は、狩り立てられていて、家もなく、あらゆる人々からのお尋ね者で、世間に知れわたった人殺しで、絞首台へ送られる人間なのであった。
私の理性はぐらついた。が、すっかりなくなりはしなかった。私がこれまで何度も気がついていることであるが、私が第二の性格になっている時には、私のいろいろの機能はきわめて鋭くなり、元気は一そう弾力性をもってくるように思われた。そういうわけで、ジーキルなら多分まいってしまうような場合でも、ハイドはその時の急場をしのぐことができるのであった。例の薬は、書斎の戸棚の一つの中にあった。どうしたらそれを手に入れられるだろうか? それが(顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》を両手で押しつけながら)私の解きにかかった問題であった。実験室の戸口は私が閉めてしまった。もし私が住居の方から入ろうとすれば、私の召使たちは私(ハイド)を絞首台に引渡そうとするだろう。私は人手を借りなければならないことを知って、ラニョンのことを思った。どうしたら彼のもとへ行けるだろうか? どうして彼を説きつけることができようか? 私が街路で捕えられることを免れたとしても、どうして私は彼の前まで行けるだろうか? また、どうして未知の不愉快な訪問者である私が、あの有名な医者を説きふせて、彼の同僚であるジーキル博士の研究室をさがさせることができようか? その時、私は自分のいままでの特質の中で、ただ一つの部分だけがそのまま、自分に残っていることを思い出した。私は自分自身の手跡で字を書くことができるのだ。そして、一度このぱっと燃えあがる閃きを認めると、私のとるべき道は端から端まで照らしだされた。
そこで、私はできるだけよく服装をととのえ、通りすがりの貸馬車を呼んで、自分が何気なくその名を憶えていたポートランド街のあるホテルに走らせた。私の姿(それは、その衣服がどんな悲惨な運命を包んでいたにしても、実際ずいぶん滑稽なものであった)を見ると、馭者はふき出してしまった。私は烈しく怒って馭者にむかって歯ぎしりをした。すると彼の笑いは消えた。――これは彼にとっては仕合わせであったが、――私にとっては尚一そう仕合わせであった。なぜなら、もう少しのところで私はきっと彼を馭者台から引きずり下ろしたに違いないからだ。旅館へ入る時に、私はもの凄い顔つきであたりを睨みまわしたので、給仕人たちは震えあがった。彼らは私の目の前では顔を見かわしもしなかった。ただぺこぺこして私の言いつけに従い、私を私室へ案内して、手紙を書くにいる物をもってきた。生命が危険になっている時のハイドは、私にとっては初めて経験するものであった。烈しい怒りにふるえ、人を苦しめたくてたまらなくて、人殺しをやりかねないほど興奮しているのだ。それでもその男はぬけ目がなかった。非常な意志の努力で怒りを抑え、一通はラニョンに、一通はプールに宛てた、二通の重要な手紙を書きあげ、それが投函されたという実証を受けとりたいために、それを書留にするようにという指図を与えて出した。
そのあとで、彼は一日中旅館の私室の暖炉にむかって、爪を噛みながら腰かけていた。その室にひとりっきりで、恐怖におびやかされながら食事もしたが、給仕は彼の眼の前ではっきりとびくびくしていた。で、すっかり夜になってしまうと、彼はそこを出て、閉めきった辻馬車の片隅に身をおいて、ロンドンの街路をあちこちと乗りまわした。彼、と私は言う、――私、とはどうにも言うことができないのだ。その地獄の子には人間らしいところは少しもなかった。彼のなかに住んでいるのは恐怖と憎悪だけであった。そして、とうとう、彼は馭者が変に思いはじめたような気がしたので、馬車を捨てて、例の体に合わない衣服を着て人目につく姿のまま、夜の人通りの中へ思いきって歩いて行ったが、その時、この二つの下等な激情は彼のうちに嵐のように荒れ狂っていた。彼は恐怖に駆られて、べちゃくちゃひとりごとを言いながら、人通りの少ない往来をこそこそと通り、まだ夜の十二時までに何分あるかと数えては、足ばやに歩いた。一度などは、一人の女が、マッチを一箱買ってくれというらしく、彼に話しかけた。彼はその女の顔を殴りつけたので、女は逃げていった。
私がラニョンの家で本当の自分に返ったとき、その旧友の恐怖を見て、多分いくらか心を動かされたかも知れない。が、私は覚えていない。とにかく、その恐怖なぞは、私がそれまでの数時間のことを思い出す時の恐怖に比べれば、大海の一滴に過ぎなかった。私には一つの変化がおこっていた。私を苦しめたのは、もう絞首台の恐怖ではなかった。それはただ、ハイドに変ることの恐れであった。私はラニョンの非難をなかば夢心地で聞いていた。自分の家へ帰って床についたのもなかば夢心地であった。私はその日の疲れの後なのでぐっすりと深く眠ったので、私を悩ますあの悪夢でさえその眠りを破ることができなかった。翌朝、目を覚ましてみると、気力もなく、弱っていたが、しかし気分はさわやかになっていた。私は自分のうちに眠っている獣性をなおも憎み恐れていて、もちろん、前日のあの恐ろしい危険を忘れてはいなかった。だが、私はもう一度家にいるのだ。自分自身の家にいて、自分の薬のすぐ近くにいるのだ。そして、危険をのがれたことに対する感謝がほとんど希望の輝きにも劣らないくらいに、心の中で強く輝いていた。
朝食のあとで、冷たい空気を気もちよく吸いながら、中庭をゆったりと歩いていると、またもや俄かに変身の先触れであるあの言うに言われぬ感じにおそわれた。そして書斎に逃げこむか逃げこまないかに、私はいま一度ハイドの激情で怒りふるえているのであった。この時にはもとの自分に返るためには二倍の分量の薬が要った。が、悲しいことには! それから六時間後、陰気に炉の火を眺めながら腰かけている時に、例の苦痛がもどってきて、また薬を用いなければならなかった。手みじかに言えば、その日から後は、私がジーキルの姿になっていることができるのは、体操をするような非常な努力によってか、薬の効きめのある間だけのように思われたのであった。昼となく夜となく始終、私はあの変身の前知らせの身ぶるいにおそわれるのであった。ことに、私が眠るか、または椅子にかけたままちょっとうとうとしてさえ、目をさました時には必ずハイドになっていた。この絶えずさし迫っている運命に圧迫され、また実際、人間には不可能と思われるほどの不眠におちいって、私は、自分自身の姿をしていても、興奮のために消耗し尽された人間になり、身も心も力なく衰えて、ただもう自分の分身に対する恐怖という一つの思いだけに心を奪われていた。しかし、眠った時とか、薬の効能が消えてしまった時とかには、私はいきなり、なんの手数もかけずに(なぜなら変身の苦痛は日毎に少なくなってきていたので)、恐怖の幻影に充ちた空想と、理由のない憎悪で沸きたつ心と、荒れくるう生命力とを容れるにしてはそう強くもなさそうな体との持主になってしまうのであった。ハイドのいろいろの能力はジーキルが衰弱するのと並行してますます強くなってくるように思われた。そして、確かにいまやこの二人を仲違いさせている憎悪は両方とも同じように強いものであった。ジーキルの場合には、それは生命の本能からくるものだった。彼は今では、意識現象のある部分を自分と共有していて
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