で行《ゆ》く。美《うつくし》い肉《にく》の脊筋《せすぢ》を掛《か》けて左右《さいう》へ開《ひら》く水《みづ》の姿《すがた》は、輕《かる》い羅《うすもの》を捌《さば》くやうです。其《そ》の膚《はだ》の白《しろ》い事《こと》、あの合歡花《ねむのはな》をぼかした色《いろ》なのは、豫《かね》て此《こ》の時《とき》のために用意《ようい》されたのかと思《おも》ふほどでした。
動止《うごきや》んだ赤茶《あかちや》けた三俵法師《さんだらぼふし》が、私《わたし》の目《め》の前《まへ》に、惰力《だりよく》で、毛筋《けすぢ》を、ざわ/\とざわつかせて、うツぷうツぷ喘《あへ》いで居《ゐ》る。
見《み》ると驚《おどろ》いた。ものは棕櫚《しゆろ》の毛《け》を引束《ひツつか》ねたに相違《さうゐ》はありません。が、人《ひと》が寄《よ》る途端《とたん》に、ぱちぱち豆《まめ》を燒《や》く音《おと》がして、ばら/\と飛着《とびつ》いた、棕櫚《しゆろ》の赤《あか》いのは、幾千萬《いくせんまん》とも數《かず》の知《し》れない蚤《のみ》の集團《かたまり》であつたのです。
早《は》や、兩脚《りやうあし》が、むづ/\、脊筋《せすぢ》がぴち/\、頸首《えりくび》へぴちんと來《く》る、私《わたし》は七顛八倒《しつてんはつたう》して身體《からだ》を振《ふ》つて振飛《ふりと》ばした。
唯《と》、何《なん》と、其《そ》の棕櫚《しゆろ》の毛《け》の蚤《のみ》の巣《す》の處《ところ》に、一人《ひとり》、頭《づ》の小《ちひ》さい、眦《めじり》と頬《ほゝ》の垂下《たれさが》つた、青膨《あをぶく》れの、土袋《どぶつ》で、肥張《でつぷり》な五十《ごじふ》恰好《かつかう》の、頤鬚《あごひげ》を生《はや》した、漢《をとこ》が立《た》つて居《ゐ》るぢやありませんか。何《なに》ものとも知《し》れない。越中褌《ゑつちうふんどし》と云《い》ふ……あいつ一《ひと》つで、眞裸《まつぱだか》で汚《きたな》い尻《けつ》です。
婦《をんな》は沼《ぬま》の洲《す》へ泳《およ》ぎ着《つ》いて、卯《う》の花《はな》の茂《しげり》にかくれました。
が、其《そ》の姿《すがた》が、水《みづ》に流《なが》れて、柳《やなぎ》を翠《みどり》の姿見《すがたみ》にして、ぽつと映《うつ》つたやうに、人《ひと》の影《かげ》らしいものが、水《みづ》の向《むか》うに、岸《きし》の其《そ》の柳《やなぎ》の根《ね》に薄墨色《うすずみいろ》に立《た》つて居《ゐ》る……或《あるひ》は又《また》……此處《こゝ》の土袋《どぶつ》と同一《おなじ》やうな男《をとこ》が、其處《そこ》へも出《で》て來《き》て、白身《はくしん》の婦人《をんな》を見《み》て居《ゐ》るのかも知《し》れません。
私《わたし》も其《そ》の一人《ひとり》でせうね……
(や、待《ま》てい。)
青膨《あをぶく》れが、痰《たん》の搦《から》んだ、ぶやけた聲《こゑ》して、早《は》や行掛《ゆきかゝ》つた私《わたし》を留《と》めた……
(見《み》て貰《もれ》えたいものがあるで、最《も》う直《ぢき》ぢやぞ。)と、首《くび》をぐたりと遣《や》りながら、横柄《わうへい》に言《い》ふ。……何《なん》と、其《そ》の兩足《りやうあし》から、下腹《したばら》へ掛《か》けて、棕櫚《しゆろ》の毛《け》の蚤《のみ》が、うよ/\ぞろ/\……赤蟻《あかあり》の列《れつ》を造《つく》つてる……私《わたし》は立窘《たちすく》みました。
ひら/\、と夕空《ゆふぞら》の雲《くも》を泳《およ》ぐやうに柳《やなぎ》の根《ね》から舞上《まひあが》つた、あゝ、其《それ》は五位鷺《ごゐさぎ》です。中島《なかじま》の上《うへ》へ舞上《まひあが》つた、と見《み》ると輪《わ》を掛《か》けて颯《さつ》と落《おと》した。
(ひい。)と引《ひ》く婦《をんな》の聲《こゑ》。鷺《さぎ》は舞上《まひあが》りました。翼《つばさ》の風《かぜ》に、卯《う》の花《はな》のさら/\と亂《みだ》るゝのが、婦《をんな》が手足《てあし》を畝《うね》らして、身《み》を※[#「足へん+宛」、第3水準1−92−36]《もが》くに宛然《さながら》である。
今《いま》考《かんが》へると、それが矢張《やつぱ》り、あの先刻《さつき》の樹《き》だつたかも知《し》れません。同《おな》じ薫《かをり》が風《かぜ》のやうに吹亂《ふきみだ》れた花《はな》の中《なか》へ、雪《ゆき》の姿《すがた》が素直《まつすぐ》に立《た》つた。が、滑《なめら》かな胸《むね》の衝《つ》と張《は》る乳《ちゝ》の下《した》に、星《ほし》の血《ち》なるが如《ごと》き一雫《ひとしづく》の鮮紅《からくれなゐ》。絲《いと》を亂《みだ》して、卯《う》の花《はな》が眞赤《まつか》に散《ち》る、と其《そ》の淡紅《うすべに》の波《なみ》の中《なか》へ、白《しろ》く眞倒《まつさかさま》に成《な》つて沼《ぬま》に沈《しづ》んだ。汀《みぎは》を廣《ひろ》くするらしい寂《しづ》かな水《みづ》の輪《わ》が浮《う》いて、血汐《ちしほ》の綿《わた》がすら/\と碧《みどり》を曳《ひ》いて漾《たゞよ》ひ流《なが》れる……
(あれを見《み》い、血《ち》の形《かたち》が字《じ》ぢやらうが、何《なん》と讀《よ》むかい。)
――私《わたし》が息《いき》を切《き》つて、頭《かぶり》を掉《ふ》ると、
(分《わか》らんかい、白痴《たはけ》めが。)と、ドンと胸《むね》を突《つ》いて、突倒《つきたふ》す。重《おも》い力《ちから》は、磐石《ばんじやく》であつた。
(又《また》……遣直《やりなほ》しぢや。)と呟《つぶや》きながら、其《そ》の蚤《のみ》の巣《す》をぶら下《さ》げると、私《わたし》が茫然《ばうぜん》とした間《あひだ》に、のそのそ、と越中褌《ゑつちうふんどし》の灸《きう》のあとの有《あ》る尻《しり》を見《み》せて、そして、やがて、及腰《およびごし》の祠《ほこら》の狐格子《きつねがうし》を覗《のぞ》くのが見《み》えた。
(奧《おく》さんや、奧《おく》さんや――蚤《のみ》が、蚤《のみ》が――)
と腹《はら》をだぶ/\、身悶《みもだ》えをしつゝ、後退《あとじさ》りに成《な》つた。唯《と》、どしん、と尻餅《しりもち》をついた。が、其《そ》の頭《あたま》へ、棕櫚《しゆろ》の毛《け》をずぼりと被《かぶ》る、と梟《ふくろふ》が化《ば》けたやうな形《かたち》に成《な》つて、其《そ》のまゝ、べた/\と草《くさ》を這《は》つて、縁《えん》の下《した》へ這込《はひこ》んだ。――
蝙蝠傘《かうもりがさ》を杖《つゑ》にして、私《わたし》がひよろ/\として立去《たちさ》る時《とき》、沼《ぬま》は暗《くら》うございました。そして生《なま》ぬるい雨《あめ》が降出《ふりだ》した……
(奧《おく》さんや、奧《おく》さんや。)
と云《い》つたが、其《そ》の土袋《どぶつ》の細君《さいくん》ださうです。土地《とち》の豪農《がうのう》何某《なにがし》が、内證《ないしよう》の逼迫《ひつぱく》した華族《くわぞく》の令孃《れいぢやう》を金子《かね》にかへて娶《めと》つたと言《い》ひます。御殿《ごてん》づくりでかしづいた、が、其《そ》の姫君《ひめぎみ》は可恐《おそろし》い蚤《のみ》嫌《ぎら》ひで、唯《たゞ》一|匹《ぴき》にも、夜《よる》も晝《ひる》も悲鳴《ひめい》を上《あ》げる。其《そ》の悲《かな》しさに、別室《べつしつ》の閨《ねや》を造《つく》つて防《ふせ》いだけれども、防《ふせ》ぎ切《き》れない。で、果《はて》は亭主《ていしゆ》が、蚤《のみ》を除《よ》けるための蚤《のみ》の巣《す》に成《な》つて、棕櫚《しゆろ》の毛《け》を全身《ぜんしん》に纏《まと》つて、素裸《すつぱだか》で、寢室《しんしつ》の縁《えん》の下《した》へ潛《もぐ》り潛《もぐ》り、一夏《ひとなつ》のうちに狂死《くるひじに》をした。――
(まだ、迷《まよ》つて居《ゐ》さつしやるかなう、二人《ふたり》とも――旅《たび》の人《ひと》がの、あの忘《わす》れ沼《ぬま》では、同《おな》じ事《こと》を度々《たび/\》見《み》ます。)
旅籠屋《はたごや》での談話《はなし》であつた。」
工學士《こうがくし》は附《つ》けたして、
「……祠《ほこら》の其《そ》の縁《えん》の下《した》を見《み》ましたがね、……御存《ごぞん》じですか……異類《いるゐ》異形《いぎやう》な石《いし》がね。」
日《ひ》を經《へ》て工學士《こうがくし》から音信《おとづれ》して、あれは、乳香《にうかう》の樹《き》であらうと言《い》ふ。
底本:「鏡花全集 巻十六」岩波書店
1942(昭和17)年4月20日第1刷発行
1987(昭和62)年12月3日第3刷発行
入力:馬野哲一
校正:鈴木厚司
2000年12月13日公開
2005年11月24日修正
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