》が汎濫《はんらん》して、田《た》に、畠《はたけ》に、村里《むらざと》に、其《そ》の水《みづ》が引殘《ひきのこ》つて、月《つき》を經《へ》、年《とし》を過《す》ぎても涸《か》れないで、其《そ》のまゝ溜水《たまりみづ》に成《な》つたのがあります。……
 小《ちひ》さなのは、河骨《かうほね》の點々《ぽつ/\》黄色《きいろ》に咲《さ》いた花《はな》の中《なか》を、小兒《こども》が徒《いたづら》に猫《ねこ》を乘《の》せて盥《たらひ》を漕《こ》いで居《ゐ》る。大《おほ》きなのは汀《みぎは》の蘆《あし》を積《つ》んだ船《ふね》が、棹《さを》さして波《なみ》を分《わ》けるのがある。千葉《ちば》、埼玉《さいたま》、あの大河《たいが》の流域《りうゐき》を辿《たど》る旅人《たびびと》は、時々《とき/″\》、否《いや》、毎日《まいにち》一《ひと》ツ二《ふた》ツは度々《たび/″\》此《こ》の水《みづ》に出會《でつくは》します。此《これ》を利根《とね》の忘《わす》れ沼《ぬま》、忘《わす》れ水《みづ》と呼《よ》んで居《ゐ》る。
 中《なか》には又《また》、あの流《ながれ》を邸内《ていない》へ引《ひ》いて、用水《ようすゐ》ぐるみ庭《には》の池《いけ》にして、筑波《つくば》の影《かげ》を矜《ほこ》りとする、豪農《がうのう》、大百姓《おほびやくしやう》などがあるのです。
 唯今《たゞいま》お話《はなし》をする、……私《わたし》が出會《であ》ひましたのは、何《ど》うも庭《には》に造《つく》つた大池《おほいけ》で有《あ》つたらしい。尤《もつと》も、居周圍《ゐまはり》に柱《はしら》の跡《あと》らしい礎《いしずゑ》も見當《みあた》りません。が、其《それ》とても埋《うも》れたのかも知《し》れません。一面《いちめん》に草《くさ》が茂《しげ》つて、曠野《あらの》と云《い》つた場所《ばしよ》で、何故《なぜ》に一度《いちど》は人家《じんか》の庭《には》だつたか、と思《おも》はれたと云《い》ふのに、其《そ》の沼《ぬま》の眞中《まんなか》に拵《こしら》へたやうな中島《なかじま》の洲《す》が一《ひと》つ有《あ》つたからです。
 で、此《こ》の沼《ぬま》は、話《はなし》を聞《き》いて、お考《かんが》へに成《な》るほど大《おほき》なものではないのです。然《さ》うかと云《い》つて、向《むか》う岸《ぎし》とさし向《むか》つて聲《こゑ》が屆《とゞ》くほどは小《ちひ》さくない。それぢや餘程《よほど》廣《ひろ》いのか、と云《い》ふのに、又《また》然《さ》うでもない、ものの十四五|分《ふん》も歩行《ある》いたら、容易《たやす》く一周《ひとまは》り出來《でき》さうなんです。但《たゞ》し十四五|分《ふん》で一周《ひとまはり》と云《い》つて、すぐに思《おも》ふほど、狹《せま》いのでもないのです。
 と、恁《か》う言《い》ひます内《うち》にも、其《そ》の沼《ぬま》が伸《の》びたり縮《ちゞ》んだり、すぼまつたり、擴《ひろ》がつたり、動《うご》いて居《ゐ》るやうでせう。――居《ゐ》ますか、結構《けつこう》です――其《そ》のつもりでお聞《き》き下《くだ》さい。
 一體《いつたい》、水《みづ》と云《い》ふものは、一雫《ひとしづく》の中《なか》にも河童《かつぱ》が一個《ひとつ》居《ゐ》て住《す》むと云《い》ふ國《くに》が有《あ》りますくらゐ、氣心《きごころ》の知《し》れないものです。分《わ》けて底《そこ》澄《ず》んで少《すこ》し白味《しろみ》を帶《お》びて、とろ/\と然《しか》も岸《きし》とすれ/″\に滿々《まん/\》と湛《たゝ》へた古沼《ふるぬま》ですもの。丁《ちやう》ど、其《そ》の日《ひ》の空模樣《そらもやう》、雲《くも》と同一《おなじ》に淀《どんよ》りとして、雲《くも》の動《うご》く方《はう》へ、一所《いつしよ》に動《うご》いて、時々《とき/″\》、てら/\と天《てん》に薄日《うすび》が映《さ》すと、其《そ》の光《ひかり》を受《う》けて、晃々《きら/\》と光《ひか》るのが、沼《ぬま》の面《おもて》に眼《まなこ》があつて、薄目《うすめ》に白《しろ》く人《ひと》を窺《うかゞ》ふやうでした。
 此《これ》では、其《そ》の沼《ぬま》が、何《なん》だか不氣味《ぶきみ》なやうですが、何《なに》、一寸《ちよつと》の間《ま》の事《こと》で、――四|時《じ》下《さが》り、五|時《じ》前《まへ》と云《い》ふ時刻《じこく》――暑《あつ》い日《ひ》で、大層《たいそう》疲《つか》れて、汀《みぎは》にぐつたりと成《な》つて一息《ひといき》吐《つ》いて居《ゐ》る中《うち》には、雲《くも》が、なだらかに流《なが》れて、薄《うす》いけれども平《たひら》に日《ひ》を包《つゝ》むと、沼《ぬま》の水《みづ》は靜《しづか》に成《な》つて、そして、少《すこ》し薄暗《うすぐら》い影《かげ》が渡《わた》りました。
 風《かぜ》はそよりともない。が、濡《ぬ》れない袖《そで》も何《なん》となく冷《つめた》いのです。
 風情《ふぜい》は一段《いちだん》で、汀《みぎは》には、所々《ところ/″\》、丈《たけ》の低《ひく》い燕子花《かきつばた》の、紫《むらさき》の花《はな》に交《まじ》つて、あち此方《こち》に又《また》一|輪《りん》づゝ、言交《いひか》はしたやうに、白《しろ》い花《はな》が交《まじ》つて咲《さ》く……
 あの中島《なかじま》は、簇《むらが》つた卯《う》の花《はな》で雪《ゆき》を被《かつ》いで居《ゐ》るのです。岸《きし》に、葉《は》と花《はな》の影《かげ》の映《うつ》る處《ところ》は、松葉《まつば》が流《なが》れるやうに、ちら/\と水《みづ》が搖《ゆ》れます。小魚《こうを》が泳《およ》ぐのでせう。
 差渡《さしわた》し、池《いけ》の最《もつと》も廣《ひろ》い、向《むか》うの汀《みぎは》に、こんもりと一|本《ぽん》の柳《やなぎ》が茂《しげ》つて、其《そ》の緑《みどり》の色《いろ》を際立《きはだ》てて、背後《うしろ》に一叢《ひとむら》の森《もり》がある、中《なか》へ横雲《よこぐも》を白《しろ》くたなびかせて、もう一叢《ひとむら》、一段《いちだん》高《たか》く森《もり》が見《み》える。うしろは、遠里《とほざと》の淡《あは》い靄《もや》を曳《ひ》いた、なだらかな山《やま》なんです。――柳《やなぎ》の奧《おく》に、葉《は》を掛《か》けて、小《ちひ》さな葭簀張《よしずばり》の茶店《ちやみせ》が見《み》えて、横《よこ》が街道《かいだう》、すぐに水田《みづた》で、水田《みづた》のへりの流《ながれ》にも、はら/\燕子花《かきつばた》が咲《さ》いて居《ゐ》ます。此《こ》の方《はう》は、薄碧《うすあを》い、眉毛《まゆげ》のやうな遠山《とほやま》でした。
 唯《と》、沼《ぬま》が呼吸《いき》を吐《つ》くやうに、柳《やなぎ》の根《ね》から森《もり》の裾《すそ》、紫《むらさき》の花《はな》の上《うへ》かけて、霞《かすみ》の如《ごと》き夕靄《ゆふもや》がまはりへ一面《いちめん》に白《しろ》く渡《わた》つて來《く》ると、同《おな》じ雲《くも》が空《そら》から捲《ま》き下《おろ》して、汀《みぎは》に濃《こ》く、梢《こずゑ》に淡《あは》く、中《なか》ほどの枝《えだ》を透《す》かして靡《なび》きました。
 私《わたし》の居《ゐ》た、草《くさ》にも、しつとりと其《そ》の靄《もや》が這《は》ふやうでしたが、袖《そで》には掛《かゝ》らず、肩《かた》にも卷《ま》かず、目《め》なんぞは水晶《すゐしやう》を透《とほ》して見《み》るやうに透明《とうめい》で。詰《つま》り、上下《うへした》が白《しろ》く曇《くも》つて、五六|尺《しやく》水《みづ》の上《うへ》が、却《かへ》つて透通《すきとほ》る程《ほど》なので……
 あゝ、あの柳《やなぎ》に、美《うつくし》い虹《にじ》が渡《わた》る、と見《み》ると、薄靄《うすもや》に、中《なか》が分《わか》れて、三《みつ》つに切《き》れて、友染《いうぜん》に、鹿《か》の子《こ》絞《しぼり》の菖蒲《あやめ》を被《か》けた、派手《はで》に涼《すゞ》しい裝《よそほひ》の婦《をんな》が三|人《にん》。
 白《しろ》い手《て》が、ちら/\と動《うご》いた、と思《おも》ふと、鉛《なまり》を曳《ひ》いた絲《いと》が三條《みすぢ》、三處《みところ》へ棹《さを》が下《お》りた。
(あゝ、鯉《こひ》が居《ゐ》る……)
 一|尺《しやく》、金鱗《きんりん》を重《おも》く輝《かゞや》かして、水《みづ》の上《うへ》へ飜然《ひらり》と飛《と》ぶ。」

        三

「それよりも、見事《みごと》なのは、釣竿《つりざを》の上下《あげおろし》に、縺《もつ》るゝ袂《たもと》、飜《ひるがへ》る袖《そで》で、翡翠《かはせみ》が六《むつ》つ、十二の翼《つばさ》を飜《ひるがへ》すやうなんです。
 唯《と》、其《そ》の白《しろ》い手《て》も見《み》える、莞爾《につこり》笑《わら》ふ面影《おもかげ》さへ、俯向《うつむ》くのも、仰《あふ》ぐのも、手《て》に手《て》を重《かさ》ねるのも其《そ》の微笑《ほゝゑ》む時《とき》、一人《ひとり》の肩《かた》をたゝくのも……莟《つぼみ》がひら/\開《ひら》くやうに見《み》えながら、厚《あつ》い硝子窓《がらすまど》を隔《へだ》てたやうに、まるつ切《きり》、聲《こゑ》が……否《いや》、四邊《あたり》は寂然《ひつそり》して、ものの音《おと》も聞《きこ》えない。
 向《むか》つて左《ひだり》の端《はし》に居《ゐ》た、中《なか》でも小柄《こがら》なのが下《おろ》して居《ゐ》る、棹《さを》が滿月《まんげつ》の如《ごと》くに撓《しな》つた、と思《おも》ふと、上《うへ》へ絞《しぼ》つた絲《いと》が眞直《まつすぐ》に伸《の》びて、するりと水《みづ》の空《そら》へ掛《かゝ》つた鯉《こひ》が――」
 ――理學士《りがくし》は言掛《いひか》けて、私《わたし》の顏《かほ》を視《み》て、而《そ》して四邊《あたり》を見《み》た。恁《か》うした店《みせ》の端近《はしぢか》は、奧《おく》より、二階《にかい》より、却《かへ》つて椅子《いす》は閑《しづか》であつた――
「鯉《こひ》は、其《それ》は鯉《こひ》でせう。が、玉《たま》のやうな眞白《まつしろ》な、あの森《もり》を背景《はいけい》にして、宙《ちう》に浮《う》いたのが、すつと合《あは》せた白脛《しろはぎ》を流《なが》す……凡《およ》そ人形《にんぎやう》ぐらゐな白身《はくしん》の女子《ぢよし》の姿《すがた》です。釣《つ》られたのぢやありません。釣針《つりばり》をね、恁《か》う、兩手《りやうて》で抱《だ》いた形《かたち》。
 御覽《ごらん》なさい。釣濟《つりす》ました當《たう》の美人《びじん》が、釣棹《つりざを》を突離《つきはな》して、柳《やなぎ》の根《ね》へ靄《もや》を枕《まくら》に横倒《よこだふ》しに成《な》つたが疾《はや》いか、起《おき》るが否《いな》や、三|人《にん》ともに手鞠《てまり》のやうに衝《つ》と遁《に》げた。が、遁《に》げるのが、其《そ》の靄《もや》を踏《ふ》むのです。鈍《どん》な、はずみの無《な》い、崩《くづ》れる綿《わた》を踏越《ふみこ》し踏越《ふみこ》しするやうに、褄《つま》が縺《もつ》れる、裳《もすそ》が亂《みだ》れる……其《それ》が、やゝ少時《しばらく》の間《あひだ》見《み》えました。
 其《そ》の後《あと》から、茶店《ちやみせ》の婆《ばあ》さんが手《て》を泳《およ》がせて、此《これ》も走《はし》る……
 一體《いつたい》あの邊《へん》には、自動車《じどうしや》か何《なに》かで、美人《びじん》が一日《いちにち》がけと云《い》ふ遊山宿《ゆさんやど》、乃至《ないし》、温泉《をんせん》のやうなものでも有《あ》るのか、何《ど》うか、其《そ》の後《ご》まだ尋《たづ》ねて見《み》ません。其《それ》が有《あ》ればですが、それにした處《ところ》で、近所《きんじよ》の遊山宿《ゆさんやど》へ來《き》て居《ゐ》たのが、此《こ》の沼《ぬま》へ來
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