べり》を伸《の》べたり、毛布《けつと》を敷《し》く……
『私《わし》が頼《たの》まれましたけに、ちよく/\見廻《みまは》りに参《めえ》りますだ。用《よう》があるなら、言着《いひつ》けてくらつせえましよ。』
と背後《うしろ》むきに踵《かゝと》で探《さぐ》つて、草履《ざうり》を穿《は》いて、壇《だん》を下《お》りて、てく/\出《で》て行《ゆ》く。
『待《ま》て、待《ま》て。』と追《お》つて出《で》て、鳥居《とりゐ》をする/\と撫《な》でゝ見《み》せた。
『村一同《むらいちどう》へ言《こと》づけを頼《たの》まう。此《こ》の柱《はしら》を一本《いつぽん》頂《いたゞ》く……此《こ》の鳥居《とりゐ》のな。……後《あと》で幾《いく》らでも建立《こんりふ》するから、と然《さ》う言《い》つてな。』
『はい、……えゝ、東京《とうきやう》からござつた旦那方《だんながた》も其《そ》のつもりで相談《さうだん》打《ぶ》たしつた。奥様《おくさま》の居《ゐ》さつしやる処《ところ》の知《し》れるまでは、何《なん》でもお前様《めえさま》する事《こと》に逆《さか》らはねえやうにと言《い》ふだで、随分《ずゐぶん》好《す》き次第《しだい》にさつしやるが可《よ》うがんす。だが、もの、鳥居《とりゐ》の木柱《きばしら》な何《ど》うするだね。』
『此《これ》を刻《きざ》んで像《ざう》を造《つく》る、婦《をんな》のな、それは美《うつく》しい、先《ま》づ弁天様《べんてんさま》と言《い》つたもんだ、お前《まへ》にも見《み》せて遣《や》らう、吃驚《びつくり》するなよ。』
と其《そ》の呆《あき》れ顔《がほ》を掌《てのひら》でべたりと撫《な》でる。と此処《こゝ》へ一人《ひとり》で遣《や》つて来《く》るほど性根《しやうね》の据《すは》つた奴《やつ》、突然《いきなり》早腰《はやごし》も抜《ぬ》かさなんだが、目《め》を蔽《おほ》ふて、面《おもて》を背《そむ》けて、
『いとしぼげな、御道理《ごもつとも》でござります。』
とのそ/\帰《かへ》る……矢張《やつぱ》りお浦《うら》を攫《さら》はれた為《ため》に、気《き》が違《ちが》つたと思《おも》ふらしい。いや、是《これ》だから人間《にんげん》の来《く》るのは煩《うるさ》い!
「……しかし、其《そ》の後《のち》とも三度《さんど》の食事《しよくじ》、火《ひ》なり、水《みづ》なり、祠《ほこら》へ来《き》て用《よう》を達《た》してくれたのは其《そ》の男《をとこ》で。時《とき》とすると、二時三時《ふたときみとき》も傍《そば》に居《ゐ》て熟《じつ》と私《わたし》の仕事《しごと》を見《み》て居《ゐ》る。口《くち》も出《だ》さず邪魔《じやま》には成《な》らん。
で、下仕事《したしごと》の手伝《てつだひ》ぐらゐは間《ま》に合《あ》つたんです。」
と雪枝《ゆきえ》は更《あらた》めて言《い》つた。
「処《ところ》で、一刻《いつこく》も疾《はや》く仕上《しあ》げにしやうと思《おも》ふから、飯《めし》も手掴《てづか》みで、水《みづ》で嚥下《のみおろ》す勢《いきほひ》、目《め》を据《す》えて働《はたら》くので、日《ひ》も時間《じかん》も、殆《ほと》んど昼夜《ちうや》の見境《みさかひ》はない。……女《をんな》の像《ざう》の第一作《だいいつさく》が、まだ手足《てあし》までは出来《でき》なかつたが、略《ほゞ》顔《かほ》の容《かたち》が備《そな》はつて、胸《むね》から鳩尾《みづおち》へかけて膨《ふつく》りと成《な》つた、木材《もくざい》に乳《ちゝ》が双《なら》んで、目鼻口元《めはなくちもと》の刻《きざ》まれた、フトした時《とき》……
『どうだ、大分《だいぶ》ものに成《な》つたらう、』と聊《いさゝ》か得意《とくい》で。丁《ちやう》ど居合《ゐあ》はせた権七《ごんしち》の顔《かほ》を目《め》を挙《あ》げて恁《か》う見《み》ると……日《ひ》に焼《や》けた色《いろ》の黒《くろ》いのが又《また》恐《おそ》ろしく真黒《まつくろ》で、額《ひたひ》が出《で》て、唇《くちびる》が長《なが》く反《そ》つて、目《め》ががつくりと窪《くぼ》んだ、其《そ》の目《め》がピカ/\と光《ひか》つて、ふツふツ、はツはツ、と喘《あへ》ぐやうな息《いき》をする。……
供揃《ともぞろ》へ
三十
いや、其《そ》の息《いき》の臭《くさ》い事《こと》……剰《あまつさ》へ、立《た》つでもなく坐《すは》るでもなく、中腰《ちゆうごし》に蹲《しやが》んだ山男《やまをとこ》の膝《ひざ》が折《を》れかゝつた朽木《くちぎ》同然《どうぜん》、節《ふし》くれ立《だ》つてギクリと曲《まが》り、腕組《うでぐみ》をした肱《ひぢ》ばかりが胸《むね》に附着《くつつ》き、布子《ぬのこ》の袖《そで》の元《もと》へ窄《せばま》つて両方《りやうはう》へ刎《は》ねた処《ところ》が、宛然《さながら》の翼《つばさ》。
『権七《ごんしち》ぢやない! 小天狗《こてんぐ》が、天守《てんしゆ》から見張《みは》りに来《き》たな。』
思《おも》はず突立《つゝた》つと、出来《でき》かゝつた像《ざう》を覗《のぞ》いて、角《つの》を扁平《ひらた》くしたやうな小鼻《こばな》を、ひいくひいく、……ふツふツはツはツと息《いき》を吹《ふ》いて居《ゐ》たのが、尖《とが》つた口《くち》を仰様《のけざま》に一《ひと》つぶるツと振《ふる》ふと、面《めん》を倒《さかさま》にしたと思《おも》へ。
彫像《てうざう》の眼球《がんきう》をグサリと刺《さ》した。
はつと思《おも》へば、烏《からす》ほどの真黒《まつくろ》な鳥《とり》が一羽《いちは》虫蝕《むしくひ》だらけの格天井《がうでんじやう》を颯《さつ》と掠《かす》めて狐格子《きつねがうし》をばさりと飛出《とびだ》す……
目《め》一《ひと》つ抉《えぐ》られては半身《はんしん》をけづり去《さ》られたも同《おな》じ事《こと》、是《これ》がために、第一《だいいち》の作《さく》は不用《ふよう》に帰《き》した。
……余《あま》りの仕儀《しぎ》に唯《たゞ》茫然《ばうぜん》として、果《はて》は涙《なみだ》を流《なが》したが、いや/\、爰《こゝ》に形《かたち》づくられた未製品《みせいひん》は、其《そ》の容《かたち》半《なか》ばにして、早《はや》くも何処《どこ》にか破綻《はたん》を生《しやう》じて、我《わ》が作《さく》を欲《ほつ》するものゝ、不満足《ふまんぞく》を来《き》たしたのであらう――いかさまにも一《ひと》つ残《のこ》つた瞳《ひとみ》を見《み》れば、お浦《うら》の其《それ》より情《なさけ》を宿《やど》さぬ、露《つゆ》も帯《お》びぬ、……手足《てあし》既《すで》に完《まつた》うして斧《をの》を以《もつ》て砕《くだ》かれても、対手《あひて》が鬼神《きじん》では文句《もんく》はない筈《はづ》。力《ちから》を傾《かたむ》け尽《つく》さぬうち、予《あらかじ》め其《そ》の欠点《けつてん》を指示《さししめ》して一思《ひとおも》ひに未練《みれん》を棄《す》てさせたは、寧《むし》ろ尠《すくな》からぬ慈悲《じひ》である……
で、直《たゞ》ちに木材《もくざい》を伐更《きりあらた》めて、第二《だいに》の像《ざう》を刻《きざ》みはじめた。が、又《また》此《こ》の作《さく》に対《たい》する迫害《はくがい》は一通《ひととほ》りではないのであつた。猫《ねこ》が来《き》て踏《ふ》んで行抜《ゆきぬ》ける、鼠《ねずみ》が噛《かじ》る。とろ/\と睡《ねむ》つて覚《さ》めれば、犬《いぬ》が来《き》てぺろ/\と嘗《な》めて居《ゐ》る……胴中《どうなか》を蛇《へび》が巻《ま》く、今《いま》穴《あな》を出《で》たらしい家守《やもり》が来《き》て鼻《はな》の上《うへ》を縦《たて》にのたくる……やがては作者《さくしや》の身躰《からだ》を襲《おそ》ふて、手《て》をゆすぶる、襟頸《ゑりくび》を取《と》つて引倒《ひきたふ》す、何者《なにもの》か知《し》れずキチ/\と啼《な》いて脇《わき》の下《した》をこそぐり掛《か》ける。
無残《むざん》や、其《そ》の中《なか》にも命《いのち》を懸《か》けて、漸《やつ》と五躰《ごたい》を調《とゝの》へたのが、指《ゆび》が折《を》れる、乳首《ちくび》が欠《か》ける、耳《みゝ》が※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《も》げる、――これは我《わ》が手《て》に打砕《うちくだ》いた、其《そ》の斧《をの》を揮《ふる》つた時《とき》、さく/\さゝらに成《な》り行《ゆ》く像《ざう》は、骨《ほね》を裂《さ》く音《おと》がして、物凄《ものすご》く飛騨山《ひだやま》の谺《こだま》に響《ひゞ》いた。
其《そ》の夜更《よふ》けから、しばらく正躰《しやうたい》を失《うしな》つたが、時《とき》も知《し》らず我《われ》に返《かへ》ると、忽《たちま》ち第三番目《だいさんばんめ》を作《つく》りはじめた、……時《とき》に祠《ほこら》の前《まへ》の鳥居《とりゐ》は倒《たふ》れて、朽《く》ちたる縄《なは》は、ほろ/\と断《き》れて跡《あと》もなく成《な》る。……
と今度《こんど》のは完成《くわんせい》した。而《そ》して本堂《ほんだう》の正面《しやうめん》に、支《さゝえ》も置《お》かず、内端《うちは》に組《く》んだ、肉《にく》づきのしまつた、膝《ひざ》脛《はぎ》の釣合《つりあひ》よく、すつくりと立《た》つた時《とき》、木《き》の膚《はだえ》は小刀《こがたな》の冴《さえ》に、恰《あたか》も霜《しも》の如《ごと》く白《しろ》く見《み》えた。……が扉《とびら》を開《ひら》いて、伝説《でんせつ》なき縁起《えんぎ》なき由緒《ゆいしよ》なき、一躰《いつたい》風流《ふうりう》なる女神《によしん》のまざ/\として露《あら》はれたか、と疑《うたが》はれて、傍《かたはら》の棚《たな》に残《のこ》つた古幣《ふるぬさ》の斜《なゝ》めに立《た》つたのに対《たい》して、敢《あへ》て憚《はゞか》るべき色《いろ》は無《な》かつた。
折《をり》から来合《きあ》はせた権七《ごんしち》に見《み》せると、色《いろ》を変《か》へ、口《くち》を尖《とが》らせ、目《め》を光《ひか》らせて視《なが》めたが、其《そ》の面《つら》は烏《からす》にも成《な》らず、……脚《あし》は朽木《くちき》にも成《な》らず、袖《そで》は羽《はね》にも成《な》らぬ。
其処《そこ》で、自分《じぶん》で引背負《ひつしよ》ふなり、抱《だ》くなりして、其《そ》の彫像《てうざう》を城趾《しろあと》の天守《てんしゆ》に運《はこ》ぶ。……途中《とちゆう》の塵《ちり》を避《さ》けるため蔽《おほひ》がはりに、お浦《うら》の着換《きがえ》を、と思《おも》つて、権七《ごんしち》を温泉宿《をんせんやど》まで取《と》りに遣《や》つた。
あとで、此《こ》の祠《ほこら》に籠《こも》つてから、幾日《いくか》の間《あひだ》か鳥居《とりゐ》より外《そと》へは出《で》ない、身躰《からだ》を伸々《のび/\》として大手《おほで》を振《ふ》つて畝路《あぜみち》から畷《なはて》へ出《で》た――然《さ》まで遠《とほ》くもない城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の方《はう》へ、何《なに》となく足《あし》が向《む》いて、ぶらり/\と歩行《ある》いたが、我《わ》が住居《すまゐ》を出《で》て其処等《そこら》散歩《さんぽ》をする、……祠《ほこら》の家《いへ》にはお浦《うら》が居《ゐ》て留主《るす》をして、我《わ》がために燈火《ともしび》のもとで針仕事《はりしごと》でも為《し》て居《ゐ》るやうな、つひした楽《たの》しい心地《こゝち》がする。……細《ほそ》い杖《ステツキ》を持《も》たないのが物足《ものた》りないくらゐなもので。
風《かぜ》もふわ/\と樹《き》の枝《えだ》を擽《くすぐ》つて、はら/\笑《わら》はせて花《はな》にしやうとするらしい、壺《つぼ》の中《なか》のやうではあるが、山国《やまぐに》の夜《よ》は朧《をぼろ》。
三十一
譬《たと》へば城《じやう》ヶ|
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