》が温泉《をんせん》へ来《き》さつしやつた街道端《かいだうばた》の、田畝《たんぼ》に近《ちか》い樹林《きはやし》の中《なか》にある大《おほき》い沼《ぬま》よ。――何《なに》が、其《そ》の水《みづ》は谿河《たにがは》の流《ながれ》を堰《せ》いて溜《た》めたでは無《な》うて、昔《むかし》から此《こ》の……此処《こゝ》な濠《ほり》の水《みづ》が地《ち》の底《そこ》を通《かよ》ふと言《い》ふだね。……
お天守《てんしゆ》の下《した》へも穴《あな》が徹《とほ》つて、お城《しろ》の抜道《ぬけみち》ぢや言《い》ふ不思議《ふしぎ》な沼《ぬま》での、……私《わし》が祖父殿《おんぢいどん》が手細工《てざいく》の船《ふね》で、殿様《とのさま》の妾《めかけ》を焼《や》いたと言《い》つけ。其《そ》ん時《とき》はい、其《そ》の影《かげ》が、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》へ歴然《あり/\》と映《うつ》つて、空《そら》が真黒《まつくろ》に成《な》つたと言《い》ふだ。……其《それ》さ真個《ほんとう》か何《ど》うか分《わか》らねども、お天守《てんしゆ》の棟《むね》は、今以《いまも》つて明《あきら》かに映《うつ》るだね。水《みづ》の静《しづか》な時《とき》は大《おほき》い角《つの》の龍《りう》が底《そこ》に沈《しづ》んだやうで、風《かぜ》がさら/\と吹《ふ》く時《とき》は、胴中《どうなか》に成《な》つて水《みづ》の面《おもて》を鱗《うろこ》が走《はし》るで、お城《しろ》の様子《やうす》が覗《のぞ》けるだから、以前《いぜん》は沼《ぬま》の周囲《まはり》に御番所《ごばんしよ》が有《あ》つた。最《もつと》もはあ、殺生《せつしやう》禁制《きんせい》の場所《ばしよ》でがしたよ。
其《そ》の上《うへ》、主《ぬし》が居《ゐ》て住《す》む、と云《い》ふて、今以《いまもつ》て誰一人《たれひとり》釣《つり》をするものはねえで、鯉《こひ》鮒《ふな》の多《いか》い事《こと》。……
お前様《めえさま》が温泉《ゆ》の宿《やど》で見《み》さしつけな、囲炉裡《ゐろり》の自在留《じざいどめ》のやうな奴《やつ》さ、山蟻《やまあり》が這《は》ふやうに、ぞろ/\歩行《ある》く。
あの、沼《ぬま》へ、待《ま》たつせえ、」
と又《また》眉《まゆ》をびく/\遣《や》つた。
「四手場《よつでば》を拵《こさ》えて網《あみ》を張《は》るものは近郷近在《きんがうきんざい》、私《わし》の他《ほか》に無《な》いのぢやが、……お前様《めえさま》が見《み》さしつた、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の四手場《よつでば》の足代《あじろ》の上《うへ》の黒坊主《くろばうず》と……はてな……其《そ》の坊様《ばうさま》は大《おほき》い割《わり》に、色《いろ》が蒼《あを》ざめては居《を》らんかの。」
二十
「あゝ、蒼《あを》ざめた、」
と雪枝《ゆきえ》は起直《おきなほ》つて言《い》つた。
「鼻《はな》の円《まる》い、額《ひたひ》の広《ひろ》い、口《くち》の大《おほき》い、……其《そ》の顔《かほ》を、然《しか》も厭《いや》な色《いろ》の火《ひ》が燃《も》えたので、暗夜《やみ》に見《み》ました。……坊主《ばうず》は狐火《きつねび》だ、と言《い》つたんです。」
「それ/\、其《そ》の坊様《ばうさま》なら、宵《よひ》の口《くち》に私《わし》が頼《たの》んで四手場《よつでば》に居《ゐ》て貰《もら》ふたのぢや……、はあ、其処《そこ》へお前様《めえさま》が行逢《ゆきあ》はしつたの。はて、どうも、妙智力《めうちりき》、旦那様《だんなさま》と私《わし》は縁《えん》が有《あ》るだね。」
「確《たしか》に師弟《してい》の縁《えん》が有《あ》ると思《おも》ひます、」
と雪枝《ゆきえ》は慇懃《ゐんぎん》に言《い》ふ。
「まあ、串戯《じやうだん》は措《お》かつせえ。……時《とき》に其《そ》の坊様《ばうさま》は何《なん》と云《い》ふでがすね。」
「えゝ、……
『私《わし》は旅《たび》から旅《たび》をふら/\と経廻《へめぐ》るものぢやが、』と坊様《ばうさま》が言《い》ふんです。
『日《ひ》が暮《く》れて此処《こゝ》を通《とほ》りかゝると、今《いま》、私《わし》が御身《おみ》に申《まを》したやうに、沼《ぬま》の水《みづ》は深《ふか》いぞ、と気《き》を注《つ》けたものがある。此《こ》の四手場《よつでば》に片膝《かたひざ》で、暗《やみ》の水《みづ》を視詰《みつ》めて居《ゐ》た老人《らうじん》ぞや。さて漁《れう》はあるか、と問《と》へば、漁《れう》は有《あ》るが、魚《さかな》は一向《いつかう》に獲《と》れぬと言《い》ふ。
希有《けう》な事《こと》を聞《き》くものぢや、其《そ》の理由《いはれ》は、と尋《たづ》ねると、老人《らうじん》の返事《へんじ》には、』
と其《そ》の坊主《ばうず》が話《はな》したんです。……ぢや、老爺《おぢい》さん――老人《らうじん》が貴下《あなた》なら、貴下《あなた》が坊主《ばうず》に話《はな》された、と云《い》ふ、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の鯉《こひ》鮒《ふな》は、網《あみ》で掬《すく》へば漁《れう》はあるが、畚《びく》に入《い》れると直《す》ぐに消《き》えて、一尾《いつぴき》も底《そこ》に留《たま》らぬ。鰌《どぜう》一尾《いつぴき》獲物《えもの》は無《な》い。無《な》いのを承知《しやうち》で、此処《こゝ》に四《よ》ツ手《で》を組《く》むと言《い》ふのは、夜《よ》が更《ふ》けると水《みづ》に沈《しづ》めた網《あみ》の中《なか》へ、何《なん》とも言《い》へない、美《うつく》しい女《をんな》が映《うつ》る。其《それ》を見《み》たい為《ため》に、独《ひと》り恁《か》うやつて構《かま》へて居《ゐ》る、……とお話《はなし》があつたやうに、其《そ》の時《とき》坊主《ばうず》から聞《き》いたんです……それは真個《ほんとう》の事《こと》ですか? 老爺《おぢい》さん。」
一切《いつさい》、事実《じじつ》だ、と老爺《ぢゞい》は答《こた》へたのである。
はじめの内《うち》、……獲《え》た魚《うを》は畚《びく》の中《なか》を途中《とちゆう》で消《き》えた。荻尾花道《をぎをばなみち》、木《き》の下路《したみち》、茄子畠《なすびばたけ》の畝《あぜ》、籔畳《やぶだゝみ》、丸木橋《まるきばし》、……城《じやう》ヶ|沼《ぬま》に漁《すなど》つて、老爺《ぢゞい》が小家《こや》に帰《かへ》る途中《とちゆう》には、穴《あな》もあり、祠《ほこら》もあり、塚《つか》もある。月夜《つきよ》の陰《かげ》、銀河《ぎんが》の絶間《たえま》、暗夜《やみ》にも隈《くま》ある要害《えうがい》で、途々《みち/\》、狐《きつね》狸《たぬき》の輩《やから》に奪《うば》ひ取《と》られる、と心着《こゝろづ》き、煙草入《たばこいれ》の根附《ねつけ》が軋《きし》んで腰《こし》の骨《ほね》の痛《いた》いまで、下《した》つ腹《ぱら》に力《ちから》を籠《こ》め、気《き》を八方《はつぱう》に配《くば》つても、瞬《またゝき》をすれば、一《ひと》つ失《う》せ、鼻《はな》をかめば二《ふた》つ失《う》せ、嚏《くしやみ》をすればフイに成《な》る。……で、未《ま》だも途中《とちゆう》まで畚《びく》の重《おも》い内《うち》は張合《はりあひ》もあつた。けれども、次第《しだい》に畜生《ちくしやう》、横領《わうりやう》の威《ゐ》を奮《ふる》つて、宵《よひ》の内《うち》からちよろりと攫《さら》ふ、漁《すなど》る後《あと》から嘗《な》めて行《ゆ》く……見《み》る/\四《よ》つ手網《であみ》の網代《あじろ》の上《うへ》で、腰《こし》の周囲《まはり》から引奪《ひつたく》る。
最《もつと》も其《そ》の時《とき》は、何《なに》となく身近《みぢか》に物《もの》の襲《おそ》ひ来《く》る気勢《けはひ》がする。左《ひだり》の手《て》がびくりとする時《とき》、左《ひだり》から丁手掻《ちよつかい》で、右《みぎ》の腕《うで》がぶるつと為《す》る時《とき》、右《みぎ》の方《はう》から狙《ねら》ふらしい。頸首《ゑりくび》脊筋《せすぢ》の冷《ひや》りと為《す》るは、後《うしろ》に構《か》まへてござる奴《やつ》。天窓《あたま》から悚然《ぞつ》とするのは、惟《おも》ふに親方《おやかた》が御出張《ごしゆつちやう》かな。いや早《は》や、其《それ》と知《し》りつゝ、さつ/\と持《も》つて行《ゆ》かれる。最《もつと》も身体《からだ》を蓋《ふた》に為《し》て畚《びく》の魚《さかな》を抱《だ》いてゞも居《ゐ》れば、如何《いか》に畜生《ちくしやう》に業通《ごふつう》が有《あ》つても、まさかに骨《ほね》を徹《とほ》しては抜《ぬ》くまい、と一心《いつしん》に守《まも》つて居《ゐ》れば、沼《ぬま》の真中《まんなか》へひら/\と火《ひ》を燃《もや》す、はあ、変《へん》だわ、と気《き》が散《ち》ると、立処《たちどころ》に鯉《こひ》が失《う》せる。其《そ》の術《て》で行《ゆ》かねば、業《わざ》を変《か》へて、何処《どこ》とも知《し》らず、真夜中《まよなか》にアハヽアハヽ笑《わら》ひをる、吃驚《びつくり》すると鮒《ふな》が消《き》える、――此方《こつち》も自棄腹《やけばら》の胴《どう》を極《き》めて、少々《せう/\》脇《わき》の下《した》を擽《くすぐ》られても、堪《こら》へて静《じつ》として畚《びく》を守《まも》れば、さすが目《め》に見《み》せて、尖《とが》つた面《つら》、長《なが》い尻尾《しつぽ》は出《だ》さぬけれど、さて然《さ》うして見《み》た日《ひ》には、足代《あじろ》を組《く》んで四手《よつで》を沈《しづ》めて、身体《からだ》を張《は》つて、体《てい》よく賃無《ちんな》しで雇《やと》はれた城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の番人《ばんにん》同然《どうぜん》、寐酒《ねざけ》にも成《な》らず、一向《いつかう》に市《いち》が栄《さか》えぬ。
二十一
魚《うを》が寄《よ》ると見《み》れば、網《あみ》を揚《あ》げる、網《あみ》を両手《りやうて》で、ぐい、と引《ひ》いて、目《め》も心《こゝろ》も水《みづ》に取《と》られる時《とき》の惨憺《みじめ》さ。ガサリなどゝ音《おと》をさして、畚《びく》を俯向《うつむ》けに引繰返《ひきくりかへ》す、と這奴《しやつ》にして遣《や》らるゝはまだしもの事《こと》、捕《と》つた魚《うを》が飜然《ひらり》と刎《は》ねて、ざぶんと水《みづ》に入《はい》つてスイと泳《およ》ぐ。
余《あまり》の他愛《たあい》なさに、効無《かひな》い殺生《せつしやう》は留《やめ》にしやう、と発心《ほつしん》をした晩《ばん》、これが思切《おもひき》りの網《あみ》を引《ひ》くと、一面《いちめん》城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の水《みづ》を飜《ひるがへ》して、大四手《おほよつで》が張裂《はりさ》けるばかり縦《たて》に成《な》つて、ざつと両隅《りやうすみ》から高《たか》く星《ほし》の空《そら》へ影《かげ》が映《さ》して、沼《ぬま》の上《うへ》を離《はな》れる時《とき》、網《あみ》の目《め》を灌《そゝ》いで落《お》ちる水《みづ》の光《ひか》り、霞《かすみ》の懸《かゝ》つた大《おほき》な姿見《すがたみ》の中《なか》へ、薄《うつす》りと女《をんな》の姿《すがた》が映《うつ》つた。
「よく、はい、噂《うはさ》に聞《き》くお客様《きやくさま》が懸《かゝ》つたやうだね。恁《か》う、其《そ》の網《あみ》を引張《ひつぱ》つて、」
老爺《ぢゞい》は手《て》で掴《つか》んで腰《こし》を反《そ》らして言《い》ふのである。
「引《ひ》き懸《か》けた処《ところ》でがんしよ……鮒《ふな》一尾《いつぴき》入《はい》つた手応《てごたへ》もねえで、水《みづ》はざんざと引覆《ぶつけえ》るだもの。人間《にんげん》の突入《つゝぺえ》つた重《おも》さはねえだ。で、持《も》つたまま大揺《おほゆ》りに身躰《からだ》ごと網《あみ》を揺《ゆ》れば、矢張《やつぱり》揺《ゆ》れて、衣服《きもの》だか鰭《ひれ》だか、尾
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