技芸天《ぎげいてん》


         九

「父《ちゝ》は或県《あるけん》の書記官《しよきくわん》でした。」
と雪枝《ゆきえ》は衣兜《かくし》に手《て》を挟《はさ》んだ。
「一年《あるとし》、此《こ》の地《ち》を巡廻《じゆんくわい》した事《こと》が有《あ》ります。私《わたくし》が七才《なゝつ》の時《とき》です。未《ま》だ其《そ》の頃《ころ》は、今《いま》の温泉《をんせん》は無《な》かつたやうですね。」
「温泉《をんせん》の開《ひら》けたのは近《ちか》い頃《ころ》の事《こと》でがすよ。然《さ》うでがすとも。前《まへ》から寂《さび》れては居《ゐ》ましつけえ、お城《しろ》の居《ゐ》まはりに、未《ま》だ、町《まち》の形《かたち》の残《のこ》つた頃《ころ》は、温泉《をんせん》は無《な》かつけの。
 地震《ぢしん》が豪《えら》く押《おつ》ぱだかつて、しやつきり残《のこ》つたのはお天守《てんしゆ》ばかりぢや。人間《にんげん》も家《いへ》も押転《おつころ》ばして、濠《ほり》も半分《はんぶん》がた埋《うま》りましけ。冬《ふゆ》の事《こと》での、其《そ》の前兆《ぜんてう》べい、
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