》す筏《いかだ》の端《はし》へ鴉《からす》が留《と》まつても気《き》に為《す》るだよ。
 誰《たれ》も来《き》て乗《の》らぬので、久《ひさし》い間《あひだ》雨曝《あまざら》しぢや。船頭《せんどう》も船《ふね》も退屈《たいくつ》をした処《ところ》、又《また》これが張合《はりあひ》で、私《わし》も手遊《おもちや》が拵《こさ》へられます。
 旦那《だんな》、嘸《さぞ》お前様《めえさま》吃驚《びつくり》さつせえたらうが、前刻《いましがた》船《ふね》と一所《いつしよ》に、白《しろ》い裸骸《はだか》の人《ひと》さ焼《や》けるのを見《み》た時《とき》は、やれ、五十年百年目《ごじふねんひやくねんめ》には、世《よ》の中《なか》に同《おな》じ事《こと》が又《また》有《あ》るか、と魂消《たまげ》ましけえ。其《それ》で無《な》うてさへ、御時節《ごじせつ》の有難《ありがた》さに、切支丹《キリシタン》と間違《まちが》へられぬが見《み》つけものゝ処《ところ》ぢや。あれが生身《いきみ》の婦《をんな》で無《な》うて、私《わし》もチヨン斬《ぎ》られずに済《す》んだでがす……
 が、お前様《めえさま》は又《また》、一躰《い
前へ 次へ
全284ページ中43ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング