い》の上《うへ》で蓋《ふた》するやうに、老爺《ぢい》は眉《まゆ》の下《した》へ手《て》を翳《かざ》して、
『ちよつくら気《き》が着《つ》いた事《こと》がある、待《ま》たつせえ、御坊《ごばう》……』
『…………、』
『少《わか》い人《ひと》も何《ど》う思《おも》ふ。お前様《めえさま》が小児《こども》の時《とき》、姉様《あねさま》にして懐《なつ》かしがらしつたと言《い》ふ木像《もくざう》から縁《えん》を曳《ひ》いて、過日《こないだ》奥様《おくさま》の行方《ゆきがた》が分《わか》らなく成《な》つた時《とき》から廻《まは》り繞《めぐ》つて、釆粒《さいつぶ》が着《つ》き絡《まと》ふ、今《いま》此処《こゝ》に采《さい》がある……此《こ》の山奥《やまおく》に双六《すごろく》の巌《いは》がある。其処《そこ》も魔所《ましよ》ぢやと名《な》が高《たか》い。時々《とき/″\》山《やま》が空《くう》に成《な》つて寂《しん》とすると、ころころと采《さい》を投《な》げる音《おと》が木樵《きこり》の耳《みゝ》に響《ひゞ》くとやら風説《ふうせつ》するで。天守《てんしゆ》にも主人《あるじ》があれば双六巌《すごろくいは》にも主《ぬし》が棲《す》まう……どちらも膚合《はだあひ》の同《おな》じ魔物《まもの》が、疾《はえ》え話《はなし》が親類附合《しんるゐつきあひ》で居《ゐ》やうも知《し》れぬだ。魔界《まかい》は又《また》魔界《まかい》同士《どうし》、話《はなし》の附《つ》け方《かた》もあらうと思《おも》ふ、何《ど》うだね、御坊《ごばう》。』
 坊主《ばうず》も二三度《にさんど》頷《うなづ》いた。で、深《ふか》く其《そ》の広《ひろ》い額《ひたひ》を伏《ふ》せた。
『いや、可《い》い処《ところ》に気《き》が着《つ》いた、……何《なん》にせい、此《こ》の上《うへ》は各々《おの/\》我《が》を張《は》らずに人頼《ひとだの》みぢや。頼《たの》むには、成程《なるほど》其《そ》の辺《へん》であらうかな。』
『行《い》つて見《み》べい。方角《はうがく》は北東《きたひがし》、槍《やり》ヶ|嶽《だけ》を見当《けんたう》に、辰巳《たつみ》に当《あた》つて、綿《わた》で包《つゝ》んだ、あれ/\天守《てんしゆ》の森《もり》の枝下《えださが》りに、峯《みね》が見《み》える、水《みづ》が見《み》える、又《また》峯《みね》が見《み》えて水《みづ》が曲《まが》る、又《また》一《ひと》つ峯《みね》が抽出《ぬきで》て居《を》る。あの空《そら》が紫立《むらさきだ》つてほんのり桃色《もゝいろ》に薄《うす》く見《み》えべい。――麻袋《あさふくろ》には昼飯《ひるめし》の握《にぎ》つた奴《やつ》、余《あま》るほど詰《つ》めて置《お》く、ちやうど僥幸《さいはひ》、山《やま》の芋《いも》を穿《ほ》つて横噛《よこかじ》りでも一日《いちにち》二日《ふつか》は凌《しの》げるだ。遣《や》りからかせ、さあ、ござい。少《わか》い人《ひと》。……お前様《めえさま》、其《そ》の采《さい》を拾《ひろ》はつしやい。御坊《ごばう》、』
『乗《の》りかゝつた船《ふね》ぢや、私《わし》も行《ゆ》く。……』
 で、連立《つれだ》つて、天守《てんしゆ》の森《もり》の外《そと》まはり、壕《ほり》を越《こ》えて、少時《しばらく》、石垣《いしがき》の上《うへ》を歩行《ある》いた。
 爾時《そのとき》、十八九人《じふはつくにん》の同勢《どうぜい》が、ぞろ/\と野《の》を越《こ》えて駆《か》けて来《き》た。中《なか》には巡査《じゆんさ》も交《まじ》つたが、早《は》や壕《ほり》の向《むか》ふの高《たか》い石垣《いしがき》の上《うへ》に、森《もり》の枝《えだ》を伝《つた》ふ躰《てい》の雪枝《ゆきえ》の姿《すがた》を、小《ちひ》さな鳥《とり》に成《な》つて、雲《くも》に入《い》り行《ゆ》く、と視《なが》めたであらう。……
 手《て》を挙《あ》げ、帽《ばう》を振《ふ》り、杖《ステツキ》を廻《ま》はしなどして、わあわつと声《こゑ》を上《あ》げたが、其《そ》の内《うち》に、一人《ひとり》、草《くさ》に落《おち》た女《をんな》の片腕《かたうで》を見《み》たものがある。それから一溜《ひとたま》りもなく裏崩《うらくづ》れして、真昼間《まつぴるま》の山《やま》の野原《のばら》を、一散《いつさん》に、や、雲《くも》を霞《かすみ》。
 森《もり》の幕《まく》が颯《さつ》と落《お》ちて、双六谷《すごろくだに》が舞台《ぶたい》の如《ごと》く眼前《めのまへ》に開《ひら》かれたやうに雪枝《ゆきえ》は思《おも》つた。……悪処《あくしよ》難路《なんろ》を辿《たど》りはしたが、然《さ》まで時《とき》が経《た》つたとも思《おも》はず、別《べつ》に其《それ》が為《ため》に、と思《おも》ふ疲労《つか
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