》に逸《はや》つて、うか/\と老爺《ぢい》の口《くち》に乗《の》らぬが可《い》い。……其《そ》の気《き》で城趾《しろあと》に根《ね》を生《はや》いて、天守《てんしゆ》と根較《こんくら》べを遣《や》らうなら、御身《おみ》は蘆《あし》の中《なか》の鉋屑《かんなくづ》、蛙《かへる》の干物《ひもの》と成果《なりは》てやうぞ……此《この》老爺《ぢい》はなか/\術《て》がある! 蝙蝠《かはほり》を刻《きざ》んで飛《と》ばせ、魚《うを》を彫《ほ》つて泳《およ》がせる代《かはり》には、此《こ》の年紀《とし》をして怪《け》しからず、色気《いろけ》がある、……あるは可《い》いが、汝《うぬ》が身《み》で持余《もてあ》ました色恋《いろこひ》を、ぬつぺりと鯰抜《なまづぬ》けして、人《ひと》にかづけやうとするではないか。城《じやう》ヶ|沼《ぬま》の暗夜《やみ》を思《おも》へ!
何《なに》か、自分《じぶん》に此《こ》の天守《てんしゆ》の主人《あるじ》から、手間賃《てまちん》の前借《まへがり》をして居《を》つて、其《そ》の借《かり》を返《かへ》す羽目《はめ》を、投遣《なげや》りに怠惰《なまけ》を遣《や》り、格合《かくかう》な折《をり》から、少《わか》いものを煽《あふ》り立《た》つて、身代《みがは》りに働《はたら》かせやう気《き》かも計《はか》られぬ。』
『これ、これ、御坊《ごばう》、御坊《ごばう》、』と言《い》つて締《しま》つた口《くち》を尖《とが》らかす。
相対《あひたひ》する坊主《ばうず》の口《くち》は、三日月形《みかづきなり》に上《うへ》へ大《おほ》きい、小鼻《こばな》の条《すぢ》を深《ふか》く莞《にや》つて、
『いや、暗《やみ》の夜《よ》を忘《わす》れまい。沼《ぬま》の中《なか》へ当《あて》の無《な》い経《きやう》読《よ》ませて、斎非時《ときひじ》にとて及《およ》ばぬが、渋茶《しぶちや》一《ひと》つ振舞《ふるま》はず、既《すん》での事《こと》に私《わし》は生涯《しやうがい》坊主《ばうず》の水車《みづぐるま》に成《な》らうとした。』
『む、まづ出家《しゆつけ》の役《やく》ぢや……断念《あきら》めさつしやい。然《さ》う又《また》一慨《いちがい》に説法《せつぽふ》されては、一言《いちごん》もねえ事《こと》よ。……けんども、やきもきと精出《せいだ》いて人《ひと》の色恋《いろこひ》で気《き》を揉《も》むのが、主《ぬし》たち道徳《だうとく》の役《やく》だんべい、押死《おつち》んだ魂《たましひ》さ導《みちび》くも勤《つとめ》なら、持余《もてあま》した色恋《いろこひ》の捌《さばき》を着《つ》けるも法《ほふ》ではねえだか、の、御坊《ごばう》。』
『然《さ》ればな……いや口《くち》の減《へ》らぬ老爺《ぢゞい》、身勝手《みがつて》を言《い》ふが、一理《いちり》ある。――処《ところ》でな、あの晩《ばん》四《よ》つ手網《であみ》の番《ばん》をしたが悪縁《あくえん》ぢや、御身《おみ》が言《い》ふ通《とほ》り色恋《いろこひ》の捌《さばき》を頼《たの》まれた事《こと》と思《おも》へ。
別《べつ》ではない、此《こ》の少《わか》い人《ひと》の内儀《ないぎ》の事《こと》でな、』
雪枝《ゆきえ》は屹《きつ》と向直《むきなほ》つた。
流盻《しりめ》に掛《か》けつゝ尚《な》ほ老爺《ぢい》に、
『……其《そ》の夜《よ》、夢幻《ゆめまぼろし》のやうに言托《ことづけ》を頼《たの》まれて、采《さい》を験《しるし》に受取《うけと》つたは、さて此方衆《こなたしゆ》知《し》つての通《とほ》りだ。――頼《たの》まれた事《こと》は手廻《てまは》しに用済《ようず》みと成《な》つたでな、翌朝《あけのあさ》直《すぐ》にも、此処《こゝ》を出発《しゆつぱつ》と思《おも》ふたが、何《なに》か気《き》に成《な》る……温泉宿《おんせんやど》、村里《むらざと》を托鉢《たくはつ》して、何《なに》となく、ふら/\と日《ひ》を送《おく》つた。其《そ》の様子《やうす》を聞《き》けば、私《わし》が言托《ことづけ》を為《し》た通《とほ》り、何《なに》か、内儀《ないぎ》の形代《かたしろ》を一心《いつしん》に刻《きざ》むと聞《き》く、……其《それ》が成就《じやうじゆ》したと言《い》ふ昨夜《ゆふべ》ぢや。少《わか》い人《ひと》が人形《にんぎやう》を運《はこ》んで行《ゆ》く後《あと》になり前《さき》になり、天守《てんしゆ》へ入《はい》つて四階目《しかいめ》へ上《のぼ》つた、処《ところ》、柱《はしら》の根《ね》に其《そ》の木像《もくざう》を抱緊《だきし》めて、死《し》んだやうに眠《ねむ》つて居《を》る。
はてな、内儀《ないぎ》を未《ま》だ返《かへ》さぬか、一体《いつたい》どんな魔物《まもの》が棲《す》むぞ。――其処《そこ》へ行《ゆ》くまで
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