、五体《ごたい》が満足《まんぞく》な彫刻物《ほりもの》であつたらば、真昼間《まつぴるま》、お前様《めえさま》と私《わし》とが、面《つら》突合《つきあ》はせた真中《まんなか》に置《お》いては動出《うごきだ》しもすめえけんども、月《つき》の黄色《きいろ》い小雨《こさめ》の夜中《よなか》、――主《ぬし》が今《いま》話《はな》さしつた、案山子《かゝし》が歩行《ある》く中《なか》へ入《い》れたら、ひとりで褄《つま》を取《と》つて、しやなら、しやならと行《や》るべい。何《なに》も、破《やぶ》れ傘《がさ》の化《ば》け車《ぐるま》に骨《ほね》を折《を》らせて運《はこ》ばせずと済《す》む事《こと》よ。平時《いつも》なら兎《と》も角《かく》ぢや、お剰《まけ》に案山子《かゝし》どもが声《こゑ》を出《だ》いて、お迎《むか》ひ、と言《い》ふ世界《せかい》なら、第一《だいゝち》お前様《めえさま》が其《そ》の像《ざう》を担《かつ》いで出《で》る法《ほふ》はあるめえ。何《なん》ではい、歩行《ある》け、さあ、木像《もくざう》、と言《い》ふ腹《はら》に成《な》らしやらぬ。……
其《それ》では魔物《まもの》が不承知《ふしようち》ぢや。前方《さき》に些《ちつ》とも無理《むり》はねえ、気《き》に入《い》るも入《い》らぬもの……出来《でき》不出来《ふでき》は最初《せえしよ》から、お前様《めえさま》の魂《たましひ》にあるでねえか。
其処《そこ》へ懸《か》けては我等《わしら》が鮒《ふな》ぢや。案山子《かゝし》が簑《みの》を捌《さば》いて捕《と》らうとするなら、ぴち/\刎《は》ねる、見事《みごと》に泳《およ》ぐぞ。老爺《ぢい》が広言《くわうげん》を吐《は》くではねえ。何《なん》の、橋《はし》の欄干《らんかん》が声《こゑ》を出《だ》す、槐《えんじゆ》が嚏《くしやみ》をすべいなら、鱗《うろこ》を光《ひか》らし、雲《くも》を捲《ま》いて踊《をどり》を踊《をど》らう。
遣直《やりなほ》さつしやい、新《あらた》にはじめろ、最一《まひと》つ作《つく》れさ。
何《ど》うやらお前様《めえさま》より増《まし》だんべいで、出来《でき》る事《こと》さ助言《じよごん》も為《し》べい、為《し》て可《い》い処《ところ》は手伝《てつだ》ふべい。
腰《こし》につけて道具《だうぐ》も揃《そろ》ふ。』
と箙《えびら》の如《ごと》く、麻袋《あさぶくろ》を敲《たゝ》いて言《い》つた。
『すかりと斬《き》れるぞ。残《のこ》らず貸《か》すべい。兵粮《へうらう》も運《はこ》ぶだでの! 宿《やど》へも祠《ほこら》へも帰《かへ》らねえで、此処《こゝ》へ確乎《しつかり》胡座《あぐら》を掻《か》けさ。下腹《したはら》へうむと力《ちから》を入《い》れるだ。雨露《あめつゆ》を凌《しの》ぐなら、私等《わしら》が小屋《こや》がけをして進《しん》ぜる。大目玉《おほめだま》で、天守《てんしゆ》を睨《にら》んで、ト其処《そこ》に囚《と》られてござるげな、最惜《いとをし》い、魔界《まかい》の業苦《がうく》に、長《なが》い頭髪《かみのけ》一筋《ひとすぢ》づゝ、一刻《いつこく》に生血《いきち》を垂《た》らすだ、奥様《おくさま》の苦脳《くなう》を忘《わす》れずに、飽《あ》くまで行《や》れさ、倒《たふ》れたら介抱《かいはう》すべい。』
雪枝《ゆきえ》は満面《まんめん》に紅《くれなゐ》を濯《そゝ》いで、天守《てんしゆ》に向《むか》つて峯《みね》より高《たか》く握拳《にぎりこぶし》を衝《つ》と上《あ》げた。
『少《わか》いものを唆《そゝの》かして要《い》らぬ骨《ほね》を折《を》らせるな、娑婆《しやば》ツ気《け》な老爺《おやぢ》めが、』
と二人《ふたり》の背後《うしろ》にぬいと立《た》つた……
苔《こけ》かと見《み》ゆる薄毛《うすげ》の天窓《あたま》に、笠《かさ》も被《かぶ》らず、大木《たいぼく》の朽《く》ちたのが月夜《つきよ》に影《かげ》の射《さ》すやうな、ぼけやた色《いろ》の黒染《すみぞめ》扮装《でたち》で、顔《かほ》の蒼《あを》い大入道《おほにうだう》!
振向《ふりむ》いた老爺《おやぢ》の顔《かほ》を瞰下《みお》ろして、
『覚《おぼ》えて居《ゐ》るか、暗《やみ》の晩《ばん》を、』と北叟笑《ほくそゑ》みした頬《ほゝ》が暗《くら》い。
人《ひと》さし指《ゆび》
三十九
『おゝ、御坊《ごばう》?』
『何日《いつ》かの晩《ばん》の!』
雪枝《ゆきえ》と老爺《ぢい》は左右《さいう》から斉《ひと》しく呼《よ》ばわる。
『御身《おみ》も其《そ》の時《とき》の少《わか》い人《ひと》な。』と雪枝《ゆきえ》に向《む》いて、片頬《かたほゝ》を又《また》暗《くら》うして薄笑《うすわら》ひを為《し》た。
『血気《けつき
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