/\、』
『お客様《きやくさま》、お客様《きやくさま》。』
と叫《さけ》ぶのが、遥《はるか》に、弱《よわ》い稲妻《いなづま》のやうに夜中《よなか》を走《はし》つて、提灯《ちやうちん》の灯《ひ》が点々《ぽつ/\》畷《なはて》に※[#「彳+羊」、第3水準1−84−32]※[#「彳+淌のつくり」、第3水準1−84−33]《さまよ》ふ。
『お客様《きやくさま》。』
『旦那《だんな》、』
『奥方様《おくがたさま》。』
あゝ、又《また》奥方様《おくがたさま》をくはせる……剰《あまつさ》へ、今《いま》心着《こゝろづ》いて、耳《みゝ》を澄《す》ませて聞《き》けば、我《われ》自《みづ》からも、此《こ》の頃《ごろ》では鉦太鼓《かねたいこ》こそ鳴《な》らさぬけれども、土俗《どぞく》に今《いま》も遣《や》る……天狗《てんぐ》に攫《さら》はれたものを探《さが》す方法《しかた》で、あの通《とほ》り呼立《よびた》て居《を》る――成程《なるほど》然《さ》う思《おも》へば、何時《いつ》温泉《をんせん》の宿《やど》を出《で》て、何処《どこ》を通《とほ》つて、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》に来《き》たか覚《おぼ》えて居《を》らぬ。
『御身《おみ》を呼《よ》ぶぢやろ、去《い》なつしやい。』と坊主《ばうず》が、はつと又《また》其《そ》の掌《てのひら》を拡《ひろ》げた。此《こ》の煽動《あふり》に横顔《よこがほ》を払《はら》はれたやうに思《おも》つて、蹌踉《よろ/\》としたが、惟《おも》ふに幻覚《げんかく》から覚《さ》めた疲労《ひろう》であらう、坊主《ばうず》が故意《こい》に然《さ》うしたものでは無《な》いらしい。
『御身《おみ》が内儀《ないぎ》の言《こと》づけを忘《わす》れまいな。』
『忘《わす》れない。』
と奮然《ふんぜん》として答《こた》へた。既《すで》に鬼神《きじん》に感応《かんおう》ある、芸術家《げいじゆつか》に対《たい》して、坊主《ばうず》の言語《げんご》と挙動《きよどう》は、何《なん》となく嘗《な》め過《す》ぎたやうに思《おも》はれたから……其《そ》のまゝ肩《かた》を聳《そび》やかして、三《み》つ四《よ》つ輝《かゞや》く星《ほし》を取《と》つて、直《たゞ》ちに額《ひたひ》を飾《かざ》る意気組《いきぐみ》。背《せ》を高《たか》く、足《あし》を踏《ふ》んで、沼《ぬま》の岸《きし》を離《はな》れると、足代《あじろ》に突立《つゝた》つて見送《みおく》つた坊主《ばうず》の影《かげ》は、背後《うしろ》から蔽覆《おつかぶ》さる如《ごと》く、大《おほひ》なる形《かたち》に成《な》つて見《み》えた。
二十七
温泉《いでゆ》の宿《やど》を差《さ》して、城《じやう》ヶ|沼《ぬま》から引返《ひきかへ》す途中《とちゆう》は、気《き》も漫《そゞろ》に、直《す》ぐにも初《はじ》むべき――否《いな》、手《て》は既《すで》に何等《なにら》か其《それ》に向《むか》つて働《はたら》く……新《あらた》な事業《じげふ》に対《たい》する感興《かんきよう》の雲《くも》に乗《の》るやう、腕《かひな》が翼《はね》に成《な》つて、星《ほし》の下《した》を飛《と》ぶが如《ごと》き心地《こゝち》した。
恁《か》うまで情《じやう》の昂《たか》ぶつた処《ところ》へ、はたと宿《やど》から捜《さが》しに出《で》た一行《いつかう》七八人《しちはちにん》の同勢《どうぜい》に出逢《であ》つたのである……定紋《じやうもん》の着《つ》いた提灯《ちやうちん》が一群《いちぐん》の中《なか》に三《み》ツばかり、念仏講《ねんぶつかう》の崩《くづ》れとも見《み》えれば、尋常《じんじやう》遠出《とほで》の宿引《やどひき》とも見《み》えるが、旅籠屋《はたごや》に取《と》つては実際《じつさい》容易《ようい》な事《こと》では無《な》からう、――仮初《かりそめ》に宿《やど》つた夫婦《ふうふ》が、婦《をんな》は生死《しやうし》も行衛《ゆくゑ》も知《し》れず、男《をとこ》は其《それ》が為《ため》に、殆《ほと》んど狂乱《きやうらん》の形《かたち》で、夜昼《ひるよる》とも無《な》しに迷《まよ》ひ歩行《ある》く……
不面目《ふめんもく》ゆゑ、国許《くにもと》へ通知《つうち》は無用《むよう》、と当人《たうにん》は堅《かた》く留《と》めたものゝ、唯《はい》、然《さ》やうで、とばかりで旅籠屋《はたごや》では済《す》まして居《ゐ》られぬ。
で、宿《やど》の了見《れうけん》ばかりで電報《でんぱう》を打《う》つた、と見《み》えて其処《そこ》で出逢《であ》つた一群《いちぐん》の内《うち》には、お浦《うら》の親類《しんるゐ》が二人《ふたり》も交《まざ》つた、……此《こ》の中《なか》に居《ゐ》ない巡査《じゆんさ》などは、同《おな》じ目的《もくてき》で
前へ
次へ
全71ページ中39ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング