、別《べつ》の方面《はうめん》に向《むか》つて居《ゐ》るらしい。
 畝路《あぜみち》で出合《であひ》がしらに、一同《いちどう》は騒《さわ》ぎ立《た》てた。就中《なかんづく》、わざ/\東京《とうきやう》から出張《でば》つて来《き》た親類《しんるゐ》のものは、或《あるひ》は慰《なぐさ》め、或《あるひ》は励《はげ》まし、又《また》戒《いまし》めなどする種々《いろ/\》の言葉《ことば》を、立続《たてつゞ》けに※[#「口+堯」、135−15]舌《しやべ》つたが、頭《あたま》から耳《みゝ》にも入《い》れず……暗闇《くらやみ》の路次《ろじ》へ入《はい》つて、ハタと板塀《いたべい》に突当《つきあた》つたやうに、棒立《ぼうだ》ちに成《な》つて居《ゐ》たが、唐突《だしぬけ》に、片手《かたて》の掌《てのひら》を開《あ》けて、ぬい、と渠等《かれら》の前《まへ》へ突出《つきだ》した。坊主《ばうず》が自分《じぶん》に向《むか》つて同《おな》じ事《こと》を為《し》たのを、フト思出《おもひだ》したのが、殆《ほと》んど無意識《むいしき》に挙動《ふるまひ》に出《で》た。ト尠《すくな》からず一同《いちどう》を驚《おどろ》かして、皆《みな》だぢ/\と成《な》つて退《すさ》る。
 ト此《こ》の鑿《のみ》を持《も》ち、鏨《たがね》を持《も》つべき腕《かひな》は、一度《ひとたび》掌《てのひら》を返《かへ》して、多勢《たせい》を圧《あつ》して将棊倒《しやうぎだふ》しにもする、大《おほい》なる権威《けんゐ》の備《そな》はるが如《ごと》くに思《おも》つて、会心《くわいしん》自得《じとく》の意《こゝろ》を、高声《たかごゑ》に漏《も》らして、呵々《から/\》と笑《わら》つた。
『御苦労《ごくらう》御苦労《ごくらう》、真《まこと》に御骨折《ごほねをり》を懸《か》けて誰方《どなた》にも相済《あひす》まん。が、最《も》う御心配《ごしんぱい》には及《およ》ばんのだ。――お聞《き》きなさい、行衛《ゆくゑ》の知《し》れなかつた家内《かない》は、唯今《たゞいま》其《そ》の所在《ありか》が分《わか》つた。……ナニ、無事《ぶじ》か? 無事《ぶじ》かではない。考《かんが》えて見《み》たつて知《し》れます。繊弱《かよわ》い婦《をんな》だ、然《しか》も蒲柳《ほりう》の質《しつ》です。一寸《ちよいと》躓《つまづ》いても怪我《けが》をするのに、方角《はうがく》の知《し》れない山《やま》の中《なか》で、掻消《かきけ》すやうに隠《かく》れたものが無事《ぶじ》で居《ゐ》やう筈《はづ》はないではないか。
 決《けつ》して安泰《あんたい》ではない。正《まさ》に其《そ》の爪《つめ》を剥《は》ぎ、血《ち》を絞《しぼ》り、肉《にく》を※[#「てへん+毟」、第3水準2−78−12]《むし》り骨《ほね》を削《けづ》るやうな大苦艱《だいくかん》を受《う》けて居《ゐ》る、倒《さかさま》に釣《つ》られて居《ゐ》る。…………………』
と戦《おのゝ》いたが、すぐ肩《かた》を聳《そびや》かした。
『何処《どこ》に居《ゐ》る? 何《なに》、お浦《うら》の所在《ありか》は何処《どこ》だ、と言《い》ふのか。いや、君方《きみがた》に、其《それ》は話《はな》しても分《わか》るまい。水《みづ》の底《そこ》のやうな、樹《き》の梢《こずゑ》のやうな、雲《くも》の中《なか》のやうな、……それぢや分《わか》らん、分《わか》らない、と言《い》ふのかね、勿論《もちろん》分《わか》りませんとも!
 吾輩《わがはい》には丁《ちやん》と分《わか》つて居《ゐ》る。位置《ゐち》も方角《はうがく》も残《のこ》らず知《し》つてる、――指《ゆびさ》して言《い》へば、土地《とち》のものは残《のこ》らず知《し》つてる。けれども其《それ》を話《はな》すとなると、それ行《ゆ》け、救《すく》へで、松明《たいまつ》を振《ふ》り、鯨波《とき》の声《こゑ》を揚《あ》げて騒《さわ》ぐ、騒《さわ》いだ処《ところ》で所詮《しよせん》駄目《だめ》です。
 誰《たれ》が行《い》つても何者《なにもの》が騒《さわ》いでも、迚《とて》も彼《かれ》は救《すく》ひ出《だ》せない。
 おゝ! 君達《きみたち》にも粗《ほゞ》想像《さうざう》出来《でき》るか、お浦《うら》は魔《ま》に攫《さら》はれた、天狗《てんぐ》が掴《つか》んだ、……恐《おそ》らく然《さ》うだらう。……が、私《わたし》は此《これ》を地祇神《とちのかみ》の所業《しよげふ》と惟《おも》ふ。たゞし、鬼《おに》にしろ、神《かみ》にしろ、天狗《てんぐ》にしろ、何《なに》のためにお浦《うら》を攫《さら》つたか、其《そ》の意味《いみ》が分《わか》るまい、諸君《しよくん》には知《し》れなからう。
 独《ひと》りこれを知《し》るものは吾輩《わがはい》だよ。而《そ》して此
前へ 次へ
全71ページ中40ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング