……、何処《どこ》へござらつしやる、旦那《だんな》。』
とすた/\小走《こばし》りに駆《か》けて来《き》て、背後《うしろ》から袂《たもと》を引留《ひきと》めた、山稼《やまかせ》ぎの若《わか》い男《をとこ》があつた。
『お城趾《しろあと》へ行《ゆ》かしつては成《な》りましねえだよ。日《ひ》も暮《く》れたに、当事《あてこと》もねえ。』と少《すこ》し叱《しか》つて言《い》ふ。
 煙《けむり》が立《た》つて、づん/\とあがる坂《さか》一筋《ひとすぢ》、やがて、其《そ》の煙《けむり》の裙《すそ》が下伏《したぶ》せに、ぱつと拡《ひろ》がつたやうな野末《のずゑ》の処《ところ》へ掛《かゝ》つて居《ゐ》ました。」
 雪枝《ゆきえ》は胸《むね》を伸上《のしあ》げて、岬《みさき》が突出《つきで》た湾《わん》の外《そと》を臨《のぞ》むが如《ごと》く背後状《うしろざま》に広野《ひろの》を視《なが》めた。……東雲《しのゝめ》の雲《くも》は其《そ》の野末《のずゑ》を離《はな》れて、細《ほそ》く長《なが》く縦《たて》に蒼空《あをぞら》の糸《いと》を引《ひ》いて、上《のぼ》つて行《ゆ》く、……人《ひと》も馬《うま》も、其処《そこ》を通《とほ》つたら、ほつほつと描《ゑが》かれやう、鳥《とり》も飛《と》ばゞ見《み》えやう、――けれども天守《てんしゆ》の屋根《やね》は森《もり》が包《つゝ》んで、霞《かすみ》がくれに尚《なほ》暗《くら》い。其《そ》の上《うへ》、野《の》の果《はて》を引上《ひきあげ》る雲《くも》も此方《こなた》をさして畳《たゝ》まつて来《く》るやうで、老爺《ぢゞい》と差向《さしむか》つた中空《なかぞら》は厚《あつ》さが増《ま》す。其《そ》の濃《こ》く暗《くら》い奥《おく》から、黄金色《こがねいろ》に赤味《あかみ》の注《さ》した雲《くも》が、むく/\と湧出《わきだ》す、太陽《たいやう》は其処《そこ》まで上《のぼ》つた――汀《みぎは》の蘆《あし》の枯《か》れた葉《は》にも、さすがに薄《うす》い光《ひかり》がかゝつて、角《つの》ぐむ芽生《めばえ》もやゝ煙《けぶ》りかけた。此《こ》の煙《けむり》は月夜《つきよ》のやうに水《みづ》の上《うへ》にも這《は》ひ懸《かゝ》る。船《ふね》の焼《や》けた余波《なごり》は分解《わか》ず……唯《たゞ》陽炎《かげらふ》が頻《しきり》に形《かたち》づくりするのが分解《わ
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