が出《で》ませうか。』と右《みぎ》の手《て》を蓋《ふた》で胸《むね》へつけて、ころ/\と振《ふ》つて試《み》る。
と背中《せなか》から抱《だ》き締《し》めて、づる/\と遠《とほ》くへ持《も》つて行《ゆ》かれたやうに成《な》つて、雪枝《ゆきえ》は其時《そのとき》の事《こと》を思出《おもひだ》した。
「其《そ》の時《とき》の事《こと》と言《い》ふのは、父《ちゝ》が此《こ》の土地《とち》の祠《ほこら》から持《も》つて帰《かへ》つた、あの、掌《てのひら》に秘密《ひみつ》を蔵《かく》した木像《もくざう》です。」
「おゝ、」と頷《うなづ》く、老爺《ぢい》は腕組《うでぐみ》を為《し》た肩《かた》を動《うご》かす。
「あゝ、それぢや、木彫《きぼり》の美人《びじん》が、父《ちゝ》のナイフに突刺《つきさ》されて、暖炉《ストーブ》の中《なか》に焼《や》かれた時《とき》まで、些《ちつ》とも其《そ》の秘密《ひみつ》を明《あ》かさなかつた、微妙《びめう》な音《ね》のしたものは、同一《おなじ》、此《こ》の采《さい》であつたかも知《し》れない。
時《とき》に、傍《そば》に立《た》つた家内《かない》の姿《すがた》が、其《それ》に髣髴《そつくり》だ、と思《おも》ふと、想像《さうざう》が遠《とほ》く昔《むかし》へ返《かへ》つて、不思議《ふしぎ》なもので、袖《そで》を並《なら》べたお浦《うら》の姿《すがた》が、づゝと離《はな》れて遥《はる》かな向《むか》ふへ……」
と雪枝《ゆきえ》は語《かた》つて、押遣《おしや》るやうに手《て》を振《ふ》つた。
「其時《そのとき》の事《こと》を思《おも》ふと、老爺《おぢい》さん、恁《か》う言《い》ふ内《うち》にも貴方《あなた》の身体《からだ》も遠《とほ》くへ行《ゆ》く……ふら/\と間《あひだ》が離《はな》れる。」……
而《そ》して、婆《ばあ》さんの店《みせ》なりに、お浦《うら》の身体《からだ》が向《むか》ふへ歩行《ある》いて、見《み》る間《ま》に其《それ》が、谷《たに》を隔《へだ》てた山《やま》の絶頂《ぜつちやう》へ――湧出《わきで》る雲《くも》と裏表《うらおもて》に、動《うご》かぬ霞《かすみ》の懸《かゝ》つた中《なか》へ、裙袂《すそたもと》がはら/\と夕風《ゆふかぜ》に靡《なび》きながら薄《うす》くなる。
あの辺《あたり》へ、夕暮《ゆふぐれ》の鐘《かね》が響《ひ
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