ついて溯《さかのぼ》ると、双六谷《すごろくだに》と言《い》ふのがある――其処《そこ》に一坐《いちざ》の大盤石《だいばんじやく》、天然《てんねん》に双六《すごろく》の目《め》の装《も》られたのが有《あ》ると言《い》ふが、事実《じじつ》か、と聞《き》いたのであつた。
 亭主《ていしゆ》が答《こた》へて、如何《いか》にも、此《こ》の辺《へん》で噂《うはさ》するには、春《はる》の曙《あけぼの》のやうに、蒼々《あを/\》と霞《かす》んだ、滑《なめら》かな盤石《ばんじやく》で、藤色《ふぢいろ》がゝつた紫《むらさき》の筋《すぢ》が、寸分《すんぶん》違《たが》はず、双六《すごろく》の目《め》に成《な》つて居《ゐ》る。
『丁《ちやう》ど、先《ま》づ其《そ》の工合《ぐあひ》と思《おも》はれまする。』と掌《てのひら》を畳《たゝみ》に着《つ》けて指《ゆびさ》して見《み》せた。
 其時《そのとき》坐《すは》つて居《ゐ》た蒲団《ふとん》が、蒼味《あをみ》の甲斐絹《かひき》で、成程《なるほど》濃《こ》い紫《むらさき》の縞《しま》があつたので、恰《あだか》も既《すで》に盤石《ばんじやく》の其《そ》の双六《すごろく》に対向《さしむか》ひに成《な》つた気《き》がして、夫婦《ふうふ》は顔《かほ》を見合《みあ》はせて、思《おも》はず微笑《ほゝえ》んだ。
 ……と雪枝《ゆきえ》は言《い》ふ。
 けれども、其《それ》は神《かみ》の斧《をの》の、微妙《いみじ》き製作《せいさく》を会得《ゑとく》した嬉《うれ》しさではなかつた。其《そ》の実《じつ》、矢叫《やさけび》の如《ごと》き流《ながれ》の音《おと》も、春雨《はるさめ》の密語《さゝやき》ぞ、と聞《き》く、温泉《いでゆ》の煙《けむ》りの暖《あたゝか》い、山国《やまぐに》ながら紫《むらさき》の霞《かすみ》の立籠《たてこも》る閨《ねや》を、菫《すみれ》に満《み》ちた池《いけ》と見る、鴛鴦《えんわう》の衾《ふすま》の寝物語《ねものがた》りに――主従《しゆじう》は三世《さんぜ》、親子《おやこ》は一世《いつせ》、夫婦《ふうふ》は二世《にせ》の契《ちぎり》と聞《き》く……
『全《まつた》く未来《みらい》でも添《そ》へるのでせうか。』と他愛《たあい》のない言《こと》を新婦《しんぷ》が言《い》つた。
 二世《にせ》は愚《おろ》か三世《さんぜ》までもと思《おも》ふ雪枝《ゆきえ》も、
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