十一
斧《をの》も鑿《のみ》も忘《わす》れたものが、木曾《きそ》、碓氷《うすひ》、寐覚《ねざめ》の床《とこ》も、旅《たび》だか家《うち》だか差別《さべつ》は無《な》い気《き》で、何《なん》の此《こ》の山《やま》や谷《たに》を、神聖《しんせい》な技芸《ぎげい》の天《てん》、芸術《げいじゆつ》の地《ち》と思《おも》はう。
来《き》て見《み》ぬ内《うち》こそ、峯《みね》は雲《くも》に、谷《たに》は霞《かすみ》に、長《とこしへ》に封《ふう》ぜられて、自分等《じぶんら》、芸術《げいじゆつ》の神《かみ》に渇仰《かつがう》するものが、精進《しやうじん》の鷲《わし》の翼《つばさ》に乗《の》らないでは、杣《そま》山伏《やまぶし》も分入《わけい》る事《こと》は出来《でき》ぬであらう。流《ながれ》には斧《をの》の響《ひゞき》、木《き》の葉《は》には鑿《のみ》の音《おと》、白《しろ》い蝙蝠《かはほり》、赤《あか》い雀《すゞめ》が、麓《ふもと》の里《さと》を彩《いろど》つて、辻堂《つじだう》の中《うち》などは霞《かすみ》が掛《かゝ》つて、花《はな》の彫物《ほりもの》をして居《ゐ》やうとまで、信《しん》じて居《ゐ》たのが、恋《こひ》しい婦《をんな》と一所《いつしよ》に来《き》たゝめ、峯《みね》が雲《くも》に日《ひ》を刻《きざ》み、水《みづ》が谷《たに》に月《つき》を鑿《ほ》つた、大彫刻《だいてうこく》を眺《なが》めても、婦《をんな》が挿《さし》た笄《かんざし》ほども目《め》に着《つ》かないで、温泉宿《をんせんやど》へ泊《とま》つた翌日《よくじつ》、以前《もと》ならば何《なに》よりも前《さき》に、しか/″\の堂《だう》はないか、其《それ》らしい堂守《だうもり》は居《ゐ》まいか、と父《ちゝ》が以前《いぜん》持帰《もちかへ》つた、其《そ》の神秘《しんぴ》な木像《もくざう》の跡《あと》の、心当《こゝろあた》りを捜《さが》す処《ところ》、――気《き》にも掛《か》けないまで忘《わす》れて了《しま》つて、温泉宿《をんせんやど》の亭主《ていしゆ》を呼《よ》んで、先《ま》づ尋《たづ》ねたのが、世《よ》に伝《つた》へた双六谷《すごろくだに》の事《こと》だつた。
「老爺《おぢい》さん。」
と雪枝《ゆきえ》は嗟歎《さたん》して言《い》つた。
温泉《いでゆ》の町《まち》の、谿流《けいりう》に
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